半坪ビオトープの日記


田川八幡の1kmほど北西に水上八幡神社がある。古来から宇幣山龍頭ヶ池の畔に鎮座していた水上宮の水分(みまくり)神と、寛治年間(1087~94)に源義家勧進した石清水八幡宮とを合祀したのが始まりと伝えられる。安貞年間(1227~29)に現在地に遷座し、乾元年間(1302~03)に当時地頭職であった武藤家三代盛氏が社殿の造営と社領を寄進している。天正年間(1573~91)に奥州仕置きによって上杉領になるが、検地をめぐり庄内地方で大規模な一揆が起き、水上神社も兵火に巻き込まれ多くの建物と書物などが焼失した。近世に入り酒井氏が鶴岡城主になると祈願所になり、社殿の修復や社領の寄進をしている。明治9年、郷社となっている。

社地は約2万㎡あり、老樹が茂り合って風致に富んでいる。
現在の拝殿は嘉永3年(1805)に再建されたものを、昭和25年に屋根を瓦葺きにしている。

思いっきり尾を突き上げた狛犬の顔の表情も独特である。
口を大きく開け、目もかなり離れている。

14世紀初頭に武藤盛氏が造営した本殿(重文)は、三間社流造、茅葺きの優品で、庄内では羽黒山五重塔に次ぐ古い建造物である。

懸魚・桁隠・虹梁端・手挟・蟇股などの絵模様彫刻が見所であり、国の重文に指定されている。

特に三つの蟇股の絵模様彫刻が珍しく素晴らしい。祭神は、闇龗神(くらおかみ神)・事代主神・溝くい姫神誉田別命息長足姫命などを祀る。
くらおかみ神とは、神産みにおいてイザナギ神が迦具土神(かぐつちのかみ)を斬り殺した際に生まれた神で、水神とされている。
溝くい姫神とは、別名玉櫛媛ともいい、日本書紀では事代主神の妃とされる。

両皇太神宮、古峯神社、稲荷神社などの境内社がある。これが古峯神社であり、奥に見えるのが稲荷神社である。