半坪ビオトープの日記


羽越本線三瀬(さんぜ)駅の北にあり、西に日本海を望む丘陵上にある気比(きび)神社は、霊亀2年(716)に越前敦賀気比神宮の分霊を勧進したと伝えられ、古くは気比宮と称していた。縄文時代弥生時代の遺物が境内からも出土するなど、昔からこの辺りの主要な土地であったと思われる。
神社一帯の三瀬気比神社社叢は、約9.4ヘクタールの広さがあり、海から約800m、海抜60mの小丘陵上に生育している。風衝地の西斜面はケヤキやイタヤカエデ林となり、東の御池の周囲には風陰のブナ林が生育し、市指定の天然記念物のサカキ、ウラジロガシをはじめ、約450種の植物が生育している。東北地方日本海沿岸の原生状況を知る唯一の場所として、国の天然記念物に指定されている。

石段を上ると大きな社殿がある。拝殿のようにも見えるが、更に10mほど上がった所に拝殿と本殿らしき社殿があるので、ここにも狛犬がいるがこれは直会殿と思われる。

古来、勇武の神として諸武将の崇敬を集め、文治5年(1189)に奥州信夫郡の領主佐藤庄司、天文9年(1540)に高坂時次・菅沢氏光と、社殿の修復が重ねられた。また、「義経記」に見える「三世の薬師堂」とは気比宮のことだという。
元和年間(1615~24)以後、領主となった酒井氏も厚く崇敬し、社領・金品を寄せている。
明治3年、現社号に改称、郷社に列し、同年に県社に昇格している。
主祭神は保食(うけもち)大神で五穀の神である。ほかにも足仲彦命・大市比売命・宇迦之魂命・息長足姫尊日本武尊など十数神を祀り、主に農と武の神を祀っている。現在の本殿は、酒井家が宝永4年(1707)に建立したものとされる。
かなり古い拝殿の裏にあるのが本殿と思われる。

拝殿の左手前には境内社がある。これは武内宿弥を祀っている。

拝殿の左には豊玉妃命が祀られている。

拝殿の右には八幡大神が祀られている。