半坪ビオトープの日記


湯田川温泉の源泉の正面、路地の奥に由豆佐売(ゆずさめ)神社がある。
白雉元年(650)に名をあらわす古社で、延喜5年(905)の延喜式神名帳にも鳥海山、月山とともに名を連ねる式内社でもある。

三代実録(901)の仁和元年(886)の條に、飽海郡大物忌神、月山神とともに見え、出羽の俘囚の乱と関わって祀られていることが書かれている。室町・戦国時代以降、武藤氏、最上氏、酒井氏の崇敬を集めている。
土地の人は湯出沢(ゆづさわ)に由来すると考えているようで、古くは龍蔵権現あるいは湯蔵権現とも呼ばれ、湯田川温泉鎮護の神社として崇拝されてきた。

参道の石段右手には、水稲種子芽出法創始者・大井多右エ門の碑が建っている。多右エ門は、嘉永元年(1848)に、種籾を温泉に浸して発芽期間の短縮と芽揃いを良くする方法を編み出して、当地方の稲作に画期的な進歩を与えたという。右奥の碑がそれである。

同じく石段右手に、祓戸大神(はらえどのおおかみ)が祀られている。祓戸大神とは、神道において祓を司る神であるが、この神を祀る神社は珍しく、東京の日比谷神社などが知られている。

現在の拝殿は、安永年間(1775頃)に造営された神仏混合社殿の典型で、五間堂、向拝屋根、唐破風、内部に内陣や外陣、脇陣などをもつ密教寺院の建築に多く見られる構成である。
かつては長福寺の観音堂であり、十一面観音を祀り、また社名も滝蔵権現と称していた。

神社明細帳によれば、祭神は中座に溝織姫命、左座に大己貴命、右座に少彦名命を祀っている。
溝織姫のミゾは水の流れであり、水利を司ることにより温泉と密接な関係があるという。溝咋姫命、溝杙姫命の表記もある。