半坪ビオトープの日記


舞殿の後ろにある大拝殿(国の重文)は、浅間神社神部神社2社同殿の二階拝殿で、文化2年起工、同11年(1814)竣工の楼閣造りで、いわゆる浅間造の代表的なものである。高さは25mあり、殿内は132畳敷きの広さがある。天井は十間の合天井となり、その各間に狩野栄信・狩野寛信の「八方睨みの龍」「迦陵頻伽」「天人」の天井絵を飾る。

浅間神社神部神社2社同殿のため入口が二つある。右から上がる方が駿河国総社の神部神社である。主祭神として、大己貴命(おおなむちのみこと、大国主命の別名)を祀り、配祀神として瓊々杵命および栲幡千々姫命を祀る。瓊々杵命(ににぎのみこと)は天照大神の孫で、高千穂峰に天下った神である。栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)は、織物の神である。第十代崇神天皇の御代(約2100年前)の鎮座と伝えられ、登呂遺跡の時代からの、この地方最古の神社であり、延喜式内社である。
左には浅間神社がある。主祭神として、木之花咲耶姫命(瓊々杵命の妃神)を祀り、配祀神として瓊々杵命および栲幡千々姫命を祀る。延喜元年(901)に醍醐天皇の勅願によって、現在の富士宮の「富士山本宮」の分霊を勧請し、「冨士新宮」として祀られる。

右の回廊をくぐった突き当たりに少彦名神社がある。入母屋造銅瓦葺で、極彩色を施し、蟇股には立川流干支彫刻が付けられている。ただし「子」「丑」は内部にあって普段は見ることができない。
主祭神少彦名命であるが、本社神部神社の元の末社十四社の神々を相殿に祀る。もと神宮司薬師社と称し、古くから医薬・酒造の神、技芸上達・知恵の神と仰がれている。

少彦名神社の手前を左に進むと玉鉾神社がある。祭神として、羽倉東麿・岡部真渕・本居宣長平田篤胤国学の四大人)を祀る。社殿は伊勢神宮の古材にて昭和51年に再建された。受験・学問の神と仰がれている。

ここまでくると木々の合間から、大拝殿奥の階段の上にある本殿をようやく見ることができる。
文化元年起工で、同10年(1813)竣工である、比翼三間社流造りの両社本殿の立川流彫刻は、精巧な極彩色の出来といわれるが一般には見ることができないのが残念である。