半坪ビオトープの日記

猿田彦神社


内宮の近く、宇治浦田に猿田彦神社がある。境内の東側に駐車場があり、車両修祓所脇に北参道の鳥居がある。

南(左)に回り込むと佐瑠女神社があり、右にUターンすると猿田彦神社の社殿の前に出る。社殿は「さだひこ造り」と呼ばれる二重破風の妻入造である。主祭神として猿田彦大神を祀り、相殿に大田命を祀る。記紀神話によれば、猿田彦神天孫降臨の際に、天照大神に遣わされた瓊瓊杵命(ににぎのみこと)を天八衢(あめのやちまた)に迎えて日向に道案内した国津神である。『倭姫世記』によると、その裔・大田命は、天照大神の御杖代として伊勢に至った倭姫命を迎え、宇治の五十鈴川の畔、現在の内宮の地を献上したという。その子孫は宇治土公(うじのつちぎみ、うじとこ)と称し、神宮に玉串大内人として代々奉職したが、その宇治土公が邸宅内の屋敷神として猿田彦を祀っていた。明治初期に神官の世襲が廃止されたため、屋敷神を改めて神社としたのが猿田彦神社である。

猿田彦大神を祀る神社には、三重県鈴鹿市にある『延喜式』に記載される椿大神社があり、伊勢国一宮と比定されている。猿田彦大神宮とも呼ばれ、約2000社といわれる猿田彦大神を祀る神社の総本社とされている。椿大神社宮司は山本姓で、猿田彦神社宮司は宇治土公であり、どちらも猿田彦神・大田命の直系の子孫と主張して論争となっている。
社殿の手前、昭和11年まで社殿があった古殿地に、八角形の方位石があり、十干十二支で方位が刻まれている。

猿田彦神社猿田彦神が瓊瓊杵命を先導したことから、交通安全・方位除けの神社として信仰されている。拝殿の後ろに連なる本殿の、千木は内削ぎ、鰹木は6本の偶数と、内宮と同じになっている。鰹木も珍しく八角形になっているが、方位石のほか欄干や鳥居に八角形の柱が使用されるなど八角形が多用されるのは、方位除けの神徳を仰いだものである。

方位石の右手には、「たから石」がある。舟形の石は宝船を連想させるため、古来より縁起良いものとされている。

猿田彦神社の社殿に向かい合うように境内の右手前に佐瑠女神社が建っている。神紋は舞鶴で、鳥居の柱も八角形になっている。祭神は天宇受売命(あめのうずめのみこと)で、俳優(わざおぎ)、神楽、技芸、鎮魂の祖神と仰がれ、縁結びの神としても信仰を集めている。

天宇受売命は、天照大神が天岩戸に籠った際、その前で神楽を舞い、集まった八百万の神々を笑わせて、天照大神を誘い出すきっかけを作った神として知られる。また天孫降臨に際して待ち迎えた猿田彦大神と最初に対面し、瓊瓊杵命との間を取り持った。その後、猿田彦大神と共に五十鈴川の川上に導き、その功により「媛女君(さるめのきみ)」の称号を受けた。

社殿の右手の参道を裏手に進むと、威勢良く稲穂を垂らし始めた神田がある。この神田は御神田(おみた)と呼ばれ、毎年5月5日には豊作を祈って早苗を植える「御田祭(おみた)」が行われる。

桃山時代の衣装をつけた植え方が、のどかな田楽に合わせて早苗を植える様子は優雅な絵巻のよう。田植えの後は豊作豊漁を占う団扇角力神事や拝殿前の豊年踊りで賑わう。初夏の訪れを告げる伊勢の風物詩といわれる。