半坪ビオトープの日記

香取神宮、祈祷殿


香取神宮も古くは伊勢神宮と同様に、式年造営の制度により20年毎に本殿を造替していたが、現在の社殿は元禄13年(1700)徳川幕府(綱吉)が造営したものである。拝殿の右手の御神木のさらに右にあるこの祈祷殿は、旧拝殿としてそのとき建てられている。祈祷殿の彫刻も見事である。

拝殿の右側には樹齢千余年という大きな御神木がある。目通り約7.4m。
明治時代の国文学者で歌人落合直文が、「このめぐりいくさかありと四人して いだけどたらず神のふる杉」と詠んでいる。

本殿の真後ろには、末社の桜大刀自(さくらのおおとじ)神社がある。祭神は、木花咲耶姫命である。

さらに右手に進むと摂社の鹿島新宮がある。祭神は、武甕槌大神と天隠山(あめのかぐやま)命である。天隠山命は、天香山命とも表記され、天孫降臨の主役・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を叔父にもち、天孫降臨に従って地上に降り熊野に住んだ、稲魂の神である。

鹿島新宮の右手に校倉造りの宝庫が建っている。その奥には香取文庫が見える。宝物館とともに香取神宮の数々の宝物が収蔵されている。

本殿の左手奥には、摂社の匝瑳(そうさ)神社がある。祭神は、磐筒男命と磐筒女命を祀っている。ともに香取神宮主祭神である経津主(ふつぬし)大神の親神とされる。下総国香取郡は、物部匝瑳連の匝瑳郡と物部信太連の信太郡に挟まれている。匝瑳郡には式内社の老尾神社が鎮座し、物部匝瑳連の祖、物部信太連とされる物部小事(もののべのおごと)を祭神としている。小事は坂東を征したとされる人物である。このように香取神宮物部氏の祀る神社であったと考えられている。そして匝瑳市の老尾神社は、この香取神宮匝瑳神社から分祀されたといわれ、主祭神は阿佐比古命で、磐筒男命・磐筒女命・国常立命を配祀している。阿佐比古命は、香取神宮の祭神・経津主神御子神である。

匝瑳神社の手前、三本杉の左手に神饌所があり、その傍らに大きな錨がある。長年の役目を終えた海上自衛隊練習艦「かとり」の錨が、命名の由緒のある香取神宮に奉献されたものである。

社殿の両脇に立つ灯籠は、墨田区の三囲神社でも見かけた三つ穴灯籠だった。

社殿の右にある神札授与所の横に、さし石がある。昔から若者達が力競べに用いた石で、競い方には肩上げ、両ざし(両手で頭上に差上げる)、片手ざしなどがあるそうだ。差上げた者の名を刻んで奉納された。