半坪ビオトープの日記


鶴岡市街地に戻り、湯田川温泉に向かうとすぐに遠賀(おが)神社の鳥居に至る。創建年代は不詳だが、延喜式神名帳にみえる田川郡三社のうちの遠賀神社といわれる。

由緒によれば、天長2年(825) 別当寺として本地観音菩薩を祀る井岡寺が創建され、当社は岡大権現と称したという。現在の本殿は明治15年、拝殿は明治41年に再建されたものである。

祭神として大山祇神猿田彦神ほかを祀る。

遠賀神社の北隣には真言宗智山派の大日山井岡寺(せいこうじ)がある。寺伝によれば、淳和天皇皇子基貞親王が、高野山で修行の後、源楽と称し出羽に下り、天長2年(825) 天皇家の勅願所として遠賀廼井寺の名で建立したという。
本尊は勢至観音菩薩で、盛時には末寺30ヶ寺をかかえ、井岡から岡山にかけて宿坊が建ち並んだという。これが山門である。

慶長17年(1612)諸堂宇を再建した領主最上義光が、寺領172石を寄進した記録がある。堂宇は、本堂、開山堂、宝蔵などを備え、寺宝に室町期作の懸仏、鎌倉期作の不動尊像がある。源頼朝の武将比企能員土肥実平の墓がある。
昔、遠賀神社があったといわれる岡山集落の背後の岩台は、縄文時代の集落跡や平安時代の遺物も出土する岡山遺跡地帯であり、石棒などの出土品は致道博物館に展示されている。

金峰山の北西麓にある湯田川温泉は、和銅年間(708~15)の発見という古い温泉で、傷を負った白鷺がこの出湯で傷を癒したため昔は「白鷺の湯」と呼ばれていたとか、目を病んだ牛が角で地面を突いて湧出させたとかいう伝説もあり、江戸時代には庄内藩主酒井氏の湯治場ともなっていた。アルカリ性含芒硝石膏泉で、泉温は40~45度Cという。ここが源泉の正面の湯である。