半坪ビオトープの日記


出羽三山の麓、東北一の大鳥居の近くに、曹洞宗の国見山玉川寺(ぎょくせんじ)がある。建長3年(1251)に、大本山永平寺開祖である道元の高弟、朝鮮半島の高麗で生まれ中国の径山寺で修行した、了燃法明禅師により開山されたと伝えられている。その後、享徳2年(1453)新潟県村上にある耕雲寺の南英謙宗が中興開山した。

山門の手前右に小さな石造の鳥居があり、羽黒山大権現を祀っている。

山門を潜ると右に県内最大規模の玉川遺跡展示場があるが、残念ながら閉まっていた。
玉川遺跡は、縄文時代中期から興喜の遺跡で、石斧、勾玉、土偶、土器片等が出土し、特にヒスイの勾玉類が多い。
左には稲荷大明神を祀る稲荷堂がある。

稲荷堂の次に、江戸時代の初代出羽海の大きな顕彰碑がある。ここ玉川の出身で、現在の出羽海部屋創始者である。庄内藩主酒井候より出羽海の四股名を賜り、前頭筆頭にまでなったという。生誕200年の昭和34年に建立された。

山門の先の突き当たりには本堂があるが、本堂や庭園の参観は、右の庫裡から入る。

本尊は聖観世音菩薩を祀り、近郷に多くの末寺を持つ。