半坪ビオトープの日記


本堂の左に位牌堂がある。位牌堂とは、三十三回忌や五十回忌を終えてお寺に納める先祖の位牌を永代に祀る持仏堂のことと思っていたが、ここでは家の仏壇とは別にお寺にも位牌を祀って、先祖の忌日毎にあるいは一斉に読経をあげてもらうようだ。ほとんど同じような規格のきらびやかな位牌壇がずらっと並んでいる。

位牌堂と本堂の間を右に進むと開山堂がある。右から2番目が開山の了燃法明禅師像である。

玉川寺の池泉回遊式蓬莱庭園は、石組に工夫が見られ、国の名勝に指定されている。
1450年代に作庭されたあと、江戸時代初期(1650年代)に羽黒山の第50世執行・別当だった天宥が改修している。天宥は、真言・天台・臨済・念仏の四宗兼学を天台宗に統一した、羽黒山の中興の祖である。玉川寺のほか、羽黒山本坊、南谷の寺、荒沢寺の聖之院、手向の三光坊、鶴岡の本鏡寺の庭を築いたとされるが現存していない。

玉川寺は、サクラ、ツツジクリンソウハナショウブスイレン、ハギ、シュウメイギクサワギキョウなどが次々と咲き、「花の寺」あるいは「九輪草の寺」とも呼ばれる。庭園の右奥の高台に旧開山堂がある。

特にサクラソウ科で最大の花、クリンソウの純群落が見事といわれる。このときもスイレン、タチギボウシ、ハギ、ミソハギなどが満開だった。

池の右端に近く、石造のカエルが苔むして座っている。近くで本物のトノサマガエルを見つけた。