半坪ビオトープの日記


東北の霊場山寺は愛称で、正式には天台宗宝珠山阿所川院立石寺(あそがわいんりっしゃくじ)という。貞観2年(860)清和天皇の勅命を受けて、比叡山天台宗の高僧慈覚大師(円仁)により開山されたとされ、東北屈指の天台教学の大道場となった。奥の細道松尾芭蕉も立ち寄った名所で、国の名勝史跡に指定されている。登山口から奥之院までの参道の石段は、1015段あるといわれる。

慈覚大師は、松島瑞巌寺・平泉中尊寺・恐山円通寺などを建てた。根本中堂の創建は平安時代とされ、現在の建物は当時の領主だった斯波兼頼が正平12年(1357)に再建したものと伝えられている。

桁行5間、梁間5間、1間の向拝を付けた銅板葺き入母屋造の建物で、ブナ材の建築としては日本最古とされる。
山形藩初代藩主・最上義光による戦国時代の慶長年間と昭和38年に大改修が行われているが、古くからの天台宗建築の形式を伝えていることから国の重文に指定されている。

内部は外陣と内陣に格子で仕切られ、内陣中央の宮殿には、慈覚大師が自ら彫り込んだとされる本尊の木造薬師如来坐像が安置されている。そのほか文殊菩薩毘沙門天などの古像や、大師が中国から比叡山延暦寺に持ち帰った不滅の法燈(戦国時代、天童氏によって焼き討ちにあい一時失われるが、再び延暦寺から分け与えられる)を伝えている。延暦寺織田信長に焼き討ちされて再建されたときには山寺から分けたという。薬師如来坐像はカツラの一木造で元久2年(1205)の修理銘があり、平安時代の作と考えられている。国の重文だが秘仏とされている。

入口には大きな招福布袋尊がどっしりと構えている。布袋尊の身体を撫でながら願い事をすると願いが叶うということで、てかてかに光っている。身体にまとわりつく子どもが可愛らしい。