半坪ビオトープの日記

松岬神社、上杉博物館


上杉神社から戻って来ると、舞鶴橋を渡って左手に松岬神社がある。上杉神社の摂社である。

上杉神社に合祀されていた上杉鷹山は、明治35年(1902)二の丸御殿跡に設けた松岬神社に移されたので、この年を創建とする。

その後、上杉景勝直江兼続、鷹山の師・細井平洲、鷹山の臣下の竹俣当綱・莅戸善政を合祀し、現在に至る。ここは元の直江兼続の屋敷で、その後米沢城主となった上杉景勝の屋敷となった場所でもある。境内には、鷹山が次期藩主・治広に与えた「伝国の辞」の石碑が建っている。

松岬神社の東隣には、上杉鷹山の大きな座像がある。祖母が第4代藩主・上杉綱憲だった第9代藩主の鷹山は、日向高鍋藩から養子として米沢藩に入った。米沢藩会津120万石の時代からの家臣6000人を米沢15万石になってもそのまま召し抱えたため、財政は逼迫し幕府へ領地を返上する寸前まで追い込まれていた。鷹山は、率先して質素倹約に努め、殖産興業に励んで借金を完済し、江戸時代きっての名君として名を残している。

鷹山像の隣に「草木塔」が建っている。草木塔は、江戸中期の鷹山の時代、安永9年(1780)に現在の米沢市田沢地区に建てられたものが最古とされる、草木供養の石碑である。置賜地方に約60基、その他県内に8基がほとんどで、全国でも珍しい石碑である。

松岬神社の向いには、近代的な「伝国の杜」が建っている。上杉博物館と置賜文化ホールの複合施設で、博物館には国宝「上杉本洛中洛外図屏風」や上杉家、米沢市に関わる資料が収蔵・展示されている。

伝国の杜の西側、松が岬公園の左端に面して、上杉伯爵邸がある。明治29年米沢藩最後の藩主・上杉茂憲(伯爵)の本邸として建設された。しかし、大正8年の大火で全焼。現在の建物は大正14年、上杉憲章の米沢本邸として建てられたものである。

庭園は、東京の浜離宮庭園を模して造園されている。現在は、郷土料理を中心にした食事処になっている。