半坪ビオトープの日記

登茂山公園、英虞湾クルーズ


英虞湾の南に東西に長く横たわる先志摩半島の東の付け根辺りに、英虞湾に張り出す半島状の丘陵がある。丘陵の各所で旧石器時代縄文時代の遺跡が見つかり、古くから人が住んでいたことがわかる。英虞郡の地名は天武天皇時代(680年頃)の木簡にも見ることができる。この丘陵には登茂山展望台を始め3つの展望台があって、英虞湾を東から眺め渡すことができる。北の丘陵にあるともやま公園には、キャンプ場やテニスコートなど野外活動施設が揃っている。ここの桐垣展望台からは、西の正面に英虞湾の入り口が見渡せる。左手にはこの丘陵の西端が見え、その向こうに先志摩(前島)半島の西端である御座が認められる。右手には天童島や小天童、間崎島などの島々が重なって見える。英虞湾の夕陽の絶景ポイントとしてプロ・アマのカメラマンに人気がある。

北に目を転ずると、この丘陵の先にまた別の丘陵が重なり、その右手の入り江や、左手の賢島方面が見渡せる。

丘陵の南にある登茂山展望台へは、遊歩道を登っていく。標高48mの登茂山展望台は、桐垣展望台よりやや高いせいか、西の方面には丘陵先端部の先の間崎島の彼方に山並みが見える。案内板によると国見山や高見山ということだが、その手前の山々かもしれない。

北方向を眺めると、天童島や土井ヶ原島の彼方に賢島のホテル群が認められる。

志摩観光の拠点、賢島から英虞湾めぐりのクルーズに出掛ける。後ろに見えるスペイン帆船型遊覧船「エスペランサ」によるエスパーニャクルーズが有名だが、大型船のため間崎島先への往復と真珠工場見学だけなので、多くの島々の間を巡る小さなクルーザーを利用した。

英虞湾内では、シーカヤック水上スキー、モーターボートのクルージング、船上バーベキューなどマリンリゾートの楽しみ方も色々揃っている。英虞湾内の深さはおおむね20m前後であるが、湾口にある御座の北東の最深部は40mあり、英虞湾岸の溺れ谷は最大40m沈水したことがわかる。

土井ヶ原島を過ぎると、丘陵上に展望台のあるともやま公園が見えてきた。上からは見えなかったが、海岸沿いにはいろいろな施設が認められた。英虞湾で最も採れるものは青海苔であり、「アオサ」とも呼ばれ年間を通して採れる。その他の海産物として、真珠貝の貝柱や、海松(ミル)と呼ばれる海藻珍味、アサリ、岩牡蠣などがある。

小型船の船長は、多徳島や横山島、土井ヶ原島、天童島など、島々の間を器用に操船しながら丁寧に観光案内を続け、真珠養殖の様子も細かく説明してくれる。

やがて英虞湾の中心に位置する間崎島を左手に見ながら湾口に向かう。間崎島は、英虞湾で賢島に次ぐ大きさがあり、真珠養殖とイワシ漁を中心とする水産業を主な産業とする。

間崎島を過ぎると、右手には合歓の郷ホテル&リゾートの宿泊施設が並び、左手には先志摩半島が長く横たわるのを見る。左端に見える白い橋は志摩大橋である。

志摩半島の先端である御座が見えて、英虞湾の入り口に近づいたところでUターンする。

帰りがけ、賢島が見えてくる頃、左手にミキモト真珠養殖場があった。英虞湾ではアコヤ貝から真珠が採れることが古くから知られ、万葉集には真珠を詠み込んだ歌が56首含まれるという。明治26年(1893)、箕作佳吉の指導を受けた御木本幸吉が英虞湾神明浦で養殖アコヤ貝の半円真珠の生産に成功し、明治38年(1905)、英虞湾多徳島で真円真珠の生産に成功した。その後、真珠の大量養殖とそのブランド化で財をなした御木本は、真珠王とも呼ばれるようになった。