半坪ビオトープの日記

内宮、御手洗場


神苑に入るとすぐ右に折れ、広い参道を南に進む。内宮は東にある神宮林の神路山と島路山の麓にあるが、五十鈴川の西には鼓ヶ岳(355m)が控えている。この鼓ヶ岳はそれほど高くないが、伊勢市街地のどこからでも見えるし、山頂からは伊勢市街が見渡せる。
内宮の宮域は、5500haの広さで、神域と宮域林とに区分される。宮域林は約1300年前に、伊勢神宮の用材を切り出す御杣山として定められた。現在、宮域林はさらに第一宮域林と第二宮域林とに別れている。第一宮域林は、神域・宇治橋周辺および市内から遠望される1000ha余の区域で、大部分が原則伐採禁止の天然林である。第二宮域林は、五十鈴川水源保持や造営用材の檜を含む備林である。式年遷宮用材は元々宮域林の檜であったが、鎌倉時代には使い切ったため、以後木曽山の檜を使ってきた。今回の遷宮では700年ぶりに宮域林から約20%の檜を調達できたという。

玉砂利の参道を進むとやがて火除橋があり、その向こうに第一鳥居が建っている。

防火のために掘った溝川に架けられた火除橋を渡ると、93haに及ぶ神域に入る。

第一鳥居のすぐ先の右側に注連縄が張られた一角がある。諸祭典の幣帛のお祓いと神職のお祓いや遥拝式などが行われる川原祓所(はらえど)である。

これはパンフの切り抜きだが、大祓(おおはらい)の様子である。1、4、5、9、10、11月および6月、12月の末日には、この川原祓所で大祓が行われる。白い浄衣の神職が並び、大祓詞を奏上し、大麻で穢れを祓う(雨天時は五丈殿にて斎行)。

祓所のすぐ先を右手に下りていくと、石畳を敷き詰めた五十鈴川岸の御手洗場(みたらしば)に出る。石畳は元禄5年(1692)徳川綱吉の生母・桂昌院が寄進したといわれる。五十鈴川は別名、御裳濯(みもすそ)川と呼ばれるが、倭姫命が御裳の裾を濯がれたことから名付けられたという伝承がある。宇治橋より上流は高麗広(こうらいびろ)と呼ばれる小さな集落があるだけで、ほとんど人が住んでいないので水はとても澄んでいる。

御手洗場前で参道を左に折れて進むと、第二鳥居を通る。この鳥居も神明鳥居と思われるのだが、柱が直立ではなく、明神鳥居のように上に向かってやや内側に寄っているように見える。