隠岐島後の北端に伸びる白島崎と、その沖に浮かぶ白島、沖ノ島、松島、小白島を合わせて白島と呼ぶ。遠くに見える灯台は沖ノ島灯台という。
紫色の小さなスミレが道端に咲いていた。スミレの仲間はよく似ていて、いつも同定に困る。だがこのスミレは日本本土に広く分布する、最もありふれたタチツボスミレ(Viola grypoceras)であろう。
こんなところに奇妙な道標が立てられていた。竹島、対馬、国後島、尖閣諸島という国境の島々の名とそこまでの距離が記されている。ここが竹島に最も近いことから立てられたのだろう。竹島は日本、韓国、北朝鮮が領有権を主張する無人島だったが、現在は韓国の武装警察が常駐し実効支配している。
こちらのスミレも先ほどのスミレより少し色が淡いが、やはりタチツボスミレであろう。
再び白島が見えるようになったが、小さな灯台が見える島が沖ノ島。天然記念物のオオミズナギドリの繁殖地として知られ、白島神社がある。そのすぐ右手の島が白島。右手、東側の白い岩肌が印象的で、名の由来である。その右手前の小島が小白島。小白島には象が鼻という形の岩が知られる。白島の手前に幾重にも連なる尾根が白島崎。その左手陰に松島があるが隠れて見えない。この白島から島後の東部にある布施の浄土が浦まで、たくさんの小島、岩場があり、数えてみると九十九あった。百に一つ足りないことから「白島」の名が付いたと伝えられている。昔、隠岐の国に流された小野篁は、海原に点在するたくさんの岩や島の姿に心を奪われ、この美しくも遥かな景色に都のことが偲ばれて、「わたのはら 八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよあまのつり舟」と詠んだ。この歌は古今和歌集に載せられているが、ここ白島見物のときに作られたと伝えられている。
足下の視界が開け、よく見渡せるようになった。正面の白島だけでなく、どの島の崖も白い岩肌を見せている。約550万年前の火山岩である白い粗面岩(トラカイト)は、優白質であるが石英をほとんど含まず、アルカリ長石を主成分とする火山岩で、日本ではあまり産しない。長い年月の風化や浸食によってこのような絶景が作り上げられた。ここ隠岐は、ユネスコ世界ジオパークに2013年に認定されていて、白島海岸のように「大地の成り立ち」を知ることができる奇岩・絶壁などの景勝地が各地で紹介されている。
手前の眼下には、コバルトブルーに輝く美しい海に浸食の激しい小島が特異な風景を見せている。この辺りの黒っぽい岩は、玄武岩である。草木のない禿げた小島に塔のように伸びた赤い岩が突き出て複雑な地質が認められる。