半坪ビオトープの日記

佐渡島、真野公園、佐渡金山

佐渡島、真野公園
今週、金色のカエルが見つかったという佐渡島に、4月上旬、二十数年ぶりに訪れた。真っ先に金山に向かう予定だったが、桜は佐渡随一の名所が真野公園ということで、そこに寄り道した。すでに駐車場の周りの桜が満開だった。

真野公園
真野公園は、承久の乱に敗れて流罪になった順徳上皇22年間過ごした真野宮を中心とする公園で、春には約2000本の桜が咲き誇る。園内には上皇の行在所だった真輪寺阿弥陀堂跡のほか、佐渡歴史伝説館や文学散歩道などがある。

七浦海岸
真野から相川にある金山へ向かうのだが、ついでに佐渡市西南部の二見半島を台ヶ鼻、七浦海岸と大回りする。七浦海岸は、佐渡ジオパークにある典型的な隆起海岸で、10kmにわたり長手岬から夫婦岩、春日崎と夕陽の絶景ポイントが続く。夫婦岩は『古事記』の国産み神話に由来するとされる二つの巨岩。イザナギイザナミは国産みの後、疲れを癒すため自らの分身となる岩を作ったとされる。それが夫婦岩で、後の島々はこの夫婦岩から生まれたとされる。右が夫の岩で高さ22.6m、左が妻の岩で高さが23.1m。

春日崎
佐渡の西海岸はどこも夕陽が美しいが、佐渡随一といわれる春日崎から水平線へ沈む夕陽は特に名高い。なだらかな芝生の岬からは相川地区の町並みも一望できる。春日崎には、海上守護の八大龍王が祀られた大きな石灯籠や断崖に刻まれた磨崖仏も一見の価値があるという。

道遊の割戸
江戸時代には金山で繁栄し、島の中心都市だった相川には当時の雰囲気を残す史跡が集まる。坂の多い町を抜けて金山に向かうと、彼方に初期の採掘跡、道遊の割戸が見えてきた。

佐渡金山道遊坑コース入口
佐渡金山は、東西約3000m、南北約600m、深さ約800mの大規模な鉱脈を誇った日本最大の金銀山である。388年間に産出された金は78トン、銀2,330トン。 開鑿された坑道の総延長は約400kmと、東京〜大阪の直線距離ほどになる。国史佐渡金山の坑道見学は、江戸時代初期に開削された手彫り坑道である宗太夫坑コースと、明治32年(1899)に開削され佐渡金山の近代化に大きく貢献した機械掘り坑道である道遊坑コースの二つがある。宗太夫坑は、佐渡金山最大の鉱脈「青盤脈」の西端にあたり、坑道は江戸時代の特徴である「将棋の駒形」の坑道、斜坑、小型の探索坑道、空気を入れるための煙穴などが数多く残され、当時の様子を再現した人形が各所で作業する場面が見て取れる。今回は道遊坑コースを見学した。

道遊坑コースの坑道
道遊坑コースは、坑道を含め、トロッコ、機械工場、粗砕場など多くの設備が創業当時の姿のままで残されている。

道遊坑の坑道
道遊の割戸直下の採掘跡、道遊の割戸を間近に見るポイント、高任公園からの道遊の割戸の絶景なども堪能できる。

坑内の酒類熟成所
平成元年の操業停止まで鉱石の運搬に使われた約320mの道遊坑だが、現在、中に酒類熟成所があり、尾畑酒造・北雪酒造の酒が貯蔵されている。坑道内の温度は年間を通じて11Cほどと、酒類の熟成に適しているという。

鉱石を積んだトロッコ
坑道をつなぐ分岐点の脇にはトロッコも鉱石を積んだままの姿で展示されている。緑色の機関車は2トンバッテリートロッコと呼ばれ、多くの鉱山で鉱車、人車、台車の牽引に使われた。日本輸送機(株)の製造で、佐渡鉱山では昭和13年(1938)に最初の6台が導入されている。現在残っているのは昭和30年代〜40年代前半のものが多く、平成元年の閉山まで使われた。1トン鉱車ならば10輌ほど牽引可能で、最速で13k/時ほどだった。

高任神社に向かう桜並木
坑道を抜け出たら、道遊の割戸を間近に見る高任神社に向かう。道の両側の桜並木は満開を過ぎたところで、桜の花びらが道一杯に敷き詰められて道はピンクに染まっていた。

高任神社
桜並木の緩い坂道を上った先に、高任神社がある。相川下山ノ神町にある鉱山の総鎮守「大山祇神社」の分社である。この一帯は明治時代の初代佐渡鉱山局長・大島高任の偉業を称え、「高任地区」と呼ばれていることから高任神社と命名された。高任は明治期鉱業界の第一人者で、明治4年に岩倉使節団随行して西欧の鉱山を視察、同18年に初代鉱山局長に就任した。製鉱場の新設、新立坑の開削、道遊の割戸の再開発など、佐渡鉱山の第二次近代化と大拡張を先導した。大山祇神社は、初代佐渡奉行大久保長安が金銀山の繁栄を願って慶長10年(1605)に建立した官営社で、現在も毎年、鉱山祭には神事が行われている。