半坪ビオトープの日記

善知鳥神社、尖閣湾

 

相川 善知鳥神社
相川郷土博物館はリニューアルのため休館だった。他に佐渡奉行所跡、時鐘と鐘楼などの史跡があるが、相川市街地の南端にある善知鳥神社を訪ねた。

善知鳥神社
当神社の祭礼は、勇壮な神輿渡御と鬼太鼓で知られる。神輿は全町を渡御し、佐渡奉行所の大御門前で祈祷する。鬼太鼓は、元は金銀山の大工が鉱石を穿る所作に似せて太鼓を打ったといわれ、太鼓は裏表をリズムに乗せて打ち、長刀遣いと棒遣いは豆蒔き翁と太鼓の調子の変化により所作をなす。地域の祭りとしては島内最大のうちの一つとされ、佐渡市の無形民俗文化財に指定されている。

善知鳥神社
善知鳥神社は、仁平元年(1151)創建と伝わり、かつては善知鳥七浦の総鎮守とされ、祭礼には寛永20年(1643)頃まで七浦の氏子も参加していた。

千畳敷
佐渡二日目は相川から外界符(西海岸)を北上し、大野亀・二ツ亀を経て両津へと南下する。相川市街地の北端、下相川の海岸に千畳敷という岩礁があり、古くから名勝地として知られる。堤防に向かって橋がかけられ遊歩道があるが、橋はかなり老朽化していた。

獅子岩
弁慶のはさみ岩は見過ごしたが、こちらはその先の獅子岩。獅子に見えるかどうか、見る人によるといわれ、苦しいところか。

姫津の尖閣
ようやく姫津の尖閣湾にたどり着いた。昭和8年(1993)に文部省天然記念物調査員・脇水鉄五郎博士がこの地を踏査し、天下の絶景と賞されたノルウェーのハルダンゲル峡湾の景観に勝るとも劣らず、東西両洋に対をなす海岸美として「尖閣湾」と命名したという。

尖閣
尖閣湾は昭和9年文部省より「名勝地」に指定され、昭和25年には国定公園編入された。昭和46年には海中公園に指定、平成8年には日本渚百選に選定されている。その尖閣湾を遊覧する海中透視船(グラスボート)が、尖閣湾揚島遊園の敷地内から運行されている。

尖閣
尖閣湾は第1景から第5景まで「5つの峡湾」からなり、揚島遊園は第5景に位置している。出航するとすぐ左手には、鋭く尖った岩峰が連なる第5景の揚島峡湾が、見事な景観で迫ってくる。

遊仙橋と揚島
昭和27年ラジオドラマ「君の名は」によって女性の紅涙を絞り一世を風靡した。翌年「君の名は」は松竹映画となりそのロケが当地で行われ、吊り橋のシーンが有名になり、一躍「尖閣湾」の名が全国に知られるようになった。右手に見える新しい遊仙橋を渡った島を揚島といい、展望台がある。

尖閣
尖閣湾は、海底火山活動などにより隆起した流紋岩が高さ約30m、長さ約4kmの海岸段丘を形成し、長年にわたる激しい波の浸食を受け断崖絶壁となり、多種多様の景観を作り出したものである。まずは第5峡湾から第2峡湾まで陸地からやや離れてほぼ一直線に航行していく。

第2景の立雲峡湾
周遊コースの最南端、第2景の立雲峡湾まで来ると、グラスボートは岩礁に近づいていく。侵食された断崖の向こうには松林や平らな段丘が広がっているのを確認できる。

浸食された断崖絶壁
断崖の浸食の激しさが自然の破壊力の大きさを想像させる。海に突き出た断崖は浸食され尽くして緑のかけらも見当たらない。

第4景・膳棚峡湾へ
第2景の立雲峡湾から第3景・金剛峡湾、第4景・膳棚峡湾へと、帰路は断崖に近づきながら戻ってくる。

揚島の展望台から
グラスボートを降りて遊仙橋を渡り、揚島の展望台から先ほどグラスボートで周遊した尖閣湾を見渡す。園内には水族館も併設されているのだが、あいにく改修中で、人気の「イカの遊泳」も見学できなかった。