半坪ビオトープの日記

石名清水寺、大野亀

平根崎の波蝕甌穴群
ここ平根崎の海岸には、波蝕甌穴群がある。岩盤に無数の円形の穴ができた、国内最大規模の甌穴群で、国の天然記念物である。穴の中に小石が入り込み、波の作用で回転しながら穴を浸食する。もっと波打ち際まで行き、上から覗き込むようにしないと穴は見えないのかもしれない。遠くからでは残念ながらはっきり確認できなかった。

石名清水寺
外界府海岸を半分以上過ぎた石名に、真言宗の古刹・清水寺がある。大同2年(807)開基と縁起にある古刹で、山号は檀特山。この寺の奥の院である檀特山に源を発する清水が本堂脇から湧き出している。檀特山は昔から木喰行者たちの木喰行の修行霊山で、慶長2年(1596)弾誓が、檀特山の洞窟で悟りを開き、釈迦堂を建立した。その弾誓を慕ってきた木喰行道は天明3年(1783)に釈迦堂を再建した。この峰は北インドのダンダテ国の山に似ているので檀特山と名付けたといわれる。檀特山の冷水がこの地に湧き出し、梵字浮き出る霊水地に建てられたのがこの清水寺である。梵字浮き出る時、全ての願いが叶うと今も信仰されているという。堂内に、天明2年(1782)作の地蔵尊立像と薬師如来坐像が安置されている。

清水寺イチョウの大木
清水寺本堂前の左右に立つイチョウの大木は、右側が雌株、左側が雄株。昔から霊木として信仰されてきた。左の雄株のイチョウは、樹高24m、幹周4.3m、樹冠18.9m。雌株もほぼ同じ大きさである。中央より直立する3本の大支幹は、釈迦三尊(阿弥陀・観音・勢至菩薩)の化身といわれる。

ホンドテン
外海府海岸も海府大橋を過ぎると道が狭くなり「大型バス通行不可」となる。車も人も見かけなくなった頃、道路をホンドテンがそそくさと歩いていた。珍しいので写真を撮ろうとしたが後ろ向きで、姿ははっきりとは映らなかった。佐渡の哺乳動物は、本来、固有亜種のサドノウサギが最も大きい動物だったが、江戸時代にたぬきが持ち込まれ、昭和30年代に植林した若苗を食べるサドノウサギを駆除するため、ホンドテンが持ち込まれ、サドノウサギが激減し、新潟県の準絶滅危惧種に指定されている。佐渡のトキも捕食されたことが判明している。他にも移入種としてホンドイタチが生息し、準絶滅危惧種としてサドトガリネズミ、サドモグラなどが生息している。

北鵜島の「車田植」
北鵜島の集落のはずれに「車田植」という国指定文化財重要無形民俗文化財)があった。北鵜島の旧家で伝承されている古代の田植習俗で、一年の田植仕舞として毎年5月中頃(大安)に執り行われる。早朝に旧家当主は苗代田から苗3束を迎えて田の神を祀った後、車田へ運び、田面に御神酒を注いで祈りを捧げる。その後、3人の早乙女が畦の三方から田の中央へ進み、半束を田の中心に寄せるように植え、畦で歌われる田植唄に合わせて車状に後退しながら苗を植え付けていく。全国に当地と岐阜県高山市にしか伝存されていない希少な習俗である。

大野亀
ようやく大佐渡山地の北端、大野亀が姿を現した。標高167mの一枚岩が佐渡島の北端から西の海に向かって突き出している。

大野亀
大野亀は、二ツ亀とともに『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』二つ星として掲載された島内最大の一枚岩の巨岩であり、国指定記念物として認定されている佐渡海府海岸の一つである。マグマが地下で固まった真っ黒な岩で、火山噴出の溶岩ではない。黒いのは、ドレライト(粗粒玄武岩)と呼ばれる結晶密度の大きい岩石である。

大野亀
日本三代巨岩の一つといわれるだけあって、近づくにつれその大きさに圧倒される。その雄大さから「神が宿る岩」として古くから信仰されてきたという。6月上旬の「佐渡カンゾウ祭り」では、海府太鼓、鬼太鼓、佐渡民謡などが披露される。

トビシマカンゾウの群生地、大野亀
辺りは50万株100万本ものトビシマカンゾウの群生地で、黄色い花が一面に広がる5月下旬から6月上旬の季節には多くの人が訪れる。トビシマカンゾウ山形県の飛島と佐渡だけに分布し、大野亀は日本最大の群生地である。

大野亀
30分ほどで登れる頂上には、善宝寺石塔が立ち、地域の信仰を集めているという。頂上から眺める外海府海岸の景観も素晴らしいというが、どういうわけか、当時は登頂禁止の看板があったので、途中で引き返した。

大野亀
トビシマカンゾウの緑の株も大きく育ち、あと2ヶ月後には満開になるはずである。この次来るときには6月上旬と決めておこう。