半坪ビオトープの日記

善光寺、仁王門


6月下旬に長野の善光寺から戸隠神社、新潟の弥彦神社周辺を巡った。
善光寺の境内に入る直前右側に、善光寺名物七味唐辛子の「八幡屋磯五郎」の店がある。日本三大唐辛子の一つとして江戸時代より270年の伝統を誇る。早速、いくつか土産を買い求めた。

歴史のある石畳が敷かれた境内に入るとすぐ左側には、築地塀に囲まれた善光寺本坊の一つで尼寺の大本願(浄土宗)がある。右側には宿坊がいくつも軒を連ねている。善光寺には衆徒(天台宗)21ヵ寺、中衆(浄土宗)15ヵ寺、妻戸(もと時宗、貞享2年〈1685〉以降は天台宗)10ヵ寺があり、善光寺講参拝者の常宿として機能してきた。現在は天台・浄土一山寺院として39ヵ寺ある。「院」が天台宗、「坊」が浄土宗である。門の奥に見えるのは、表書院である。

大本願は創建以来、尼公上人をもって住職とし、代々皇室関係の方々が入山している。近世において、尼僧では伊勢・慶光院、熱田・誓願寺とともに日本三上人といわれていたが、今日では大本願のみが法灯を継承している。大勧進貫主と共に善光寺住職を兼ねており、毎朝善光寺本堂で行われるお朝事(お勤め)に出仕される。大本願には、本誓殿・奥書院・明照殿・表書院・光明閣・寿光殿・宝物館などがある。

大本願の先に仁王門が建っている。仁王門は宝暦2年(1752)に建立されたが、善光寺地震などにより二度焼失し大正7年(1918)に再建された。善光寺山号である「定額山」の額が掲げられている。

仁王像及び背後の三宝荒神・三面大黒天は、ともに高村光雲米原雲海の作であり、その原型は善光寺資料館に展示されている。

仁王門の先は仲見世通りとなっている。仲見世の中央左側に延命地蔵尊がある。この場所は移転前の本堂のあった所で、延命地蔵尊は正徳2年(1712)に造立されたが現存せず、現在は昭和24年に復興された地蔵尊が安置されている。

延命地蔵尊の向かいを右手に折れて進むと、突き当たりの院坊通りに釈迦堂が建っている。

世尊院の小御堂である釈迦堂の本尊は、鎌倉時代作とされる、珍しい等身大(1.66m)の銅造釈迦涅槃像である。「京の立ち釈迦(清涼寺)、信濃の寝釈迦」といわれ、戦国時代には本尊とともに諸国を流転した。昔は本堂と釈迦堂は向かい合っていて、善光寺の本尊の阿弥陀如来と、世尊院本尊の釈迦涅槃像は、来世、現世の仏様として向き合っていた。7年に一度行われる善光寺開帳の際には、それぞれの本堂の前にそれぞれの本尊と紐で結ばれた回向柱が立てられ、その柱を触る人々の行列ができる。来世、現世のご利益を共にいただきたいと願うわけである。

仲見世に戻り仁王門を見下ろすと、土産物屋や飲食店の間に仏壇仏具店が混じっている。