半坪ビオトープの日記

阿弥陀寺


南相馬市鹿島区の北部の相双丘陵地の南斜面に、相馬を代表する古刹、浄土宗の阿弥陀寺がある。阿弥陀寺は、中世の北関東に勢力を持った新田岩松氏の一族岩松義政の菩提寺であり、中世の東北南部の浄土宗の普及に中心的な役割を果たした。応永13年(1406)に鎌倉より行方郡千倉庄(現、鹿島区)に下向した岩松義政により創建されたともいわれるが、寺伝では、双葉郡広野町折木の成徳寺を開いた浄土宗の聖観上人の弟子源尊上人が、応永3年(1396)頃に鹿島村中ノ目に創建したとされる。このため寺の正式名は、中目山岩松院阿弥陀寺という。江戸時代には藩内浄土三ヶ寺の一つに数えられた。当寺には、岩松義政が鎌倉より持ってきたと伝える阿弥陀如来と考えられる銅造の仏像をはじめ、国重文の刺繍阿弥陀名号掛幅(鎌倉時代末期作)、刺繍阿弥陀三尊来迎掛幅(県文化)、法然上人像版木(鎌倉時代末期作、県文化)などの寺宝が多数ある。
現在の本堂は、桁行7間梁間5間で、享保21年(1736)の建立とされる。また、阿弥陀寺には蛇にまつわる伝説が残っていて、境内に蛇塚があるとされるが見つからなかった。

本堂の向かいに鐘楼が建っている。阿弥陀寺の梵鐘には、享禄2年(1529)の銘があり、さらに寛延元年(1748)の銘もあって改鋳されているが、南相馬市文化財に指定されている。

本堂の右手、境内中央に大イチョウが聳えている。推定樹齢600年で、南相馬市の天然記念物に指定されている。

本堂の右手奥に阿弥陀堂が建っている。

阿弥陀堂内には小さな厨子があり、その中は見えないがその周りに小さな仏像が雑然と並べられている。

阿弥陀堂の右手の墓地の入り口に、大きな五輪塔があり、その両脇には、自然石の墓碑が立っている。これらは、相馬中村藩第16代義胤の次男相馬及胤(ちかたね)と夫人の墓石である。

五輪塔と墓碑の手前右手の空地にも、大きな五輪塔がぽつんと立っている。こちらの五輪塔が、岩松義政の墓と伝えられる。