喜多方駅の北6kmほどの所に、浄土宗多念義派本山の叶山願成寺がある。どっしりと構えている山門は、元禄元年(1697)に建てられた、禅宗様と和様とを混ぜた建築物である。
入母屋造、銅板葺き三間一戸の楼門形式で、上層部に格子戸や連子窓がある。
蟇股には三猿を含む十二支などが彫られ、柱間頭貫に施された人物などの彫刻も珍しい。
山門をくぐるとすぐ右側に、小さな青蓮宝蔵堂が建っている。
参道左奥には、鐘楼堂が建っている。大晦日から元旦未明にかけて除夜の鐘が鳴らされるが、二十五菩薩の面「行道面」をかぶって行うのは県内では唯一といわれる。練供養会式という。
叶山願成寺は、嘉禄3年(1227)に浄土宗多念義派の祖隆寛の法弟実成が建立した、京都知恩院の末寺である。文禄年間(1592-96)には一時荒廃したが、入田付村光徳寺の僧行誉が寛文5年(1665)会津藩に願い出て再興した。江戸時代の大施主は会津藩の藩主保科正之・正経・正容という。正面の本堂にかかる幕には葵の紋がある。会津葵紋を許された格式あるお寺である。
本堂内には、本尊阿弥陀如来座像が祀られている。
本堂の右の参道の奥に、昭和53年に建てられた会津大仏御堂がある。
会津大仏の名で知られる阿弥陀如来が祀られ、2.41mの成願寺大仏と脇侍は、京都三千院の来迎三尊像と同じもので、東北では珍しく国の重文に指定されている。木造阿弥陀如来座像は、千仏舟形光背を背にし、上品下生の来迎相で蓮台上に結跏趺坐する。向って右の左脇侍は観音菩薩で両手に蓮の台を捧げ、右脇侍は勢至菩薩で合掌し、どちらも跪座している。これらの三尊像は、平安末期から鎌倉時代の作と推定されている。
本堂の裏手、会津大仏御堂の左手には、阿弥陀堂(旧大仏堂)が修理のためシートをかぶせられている。山門と同年代に建てられたとされ、ともに喜多方市の指定文化財となっている。
会津大仏御堂の手前右手には、池を囲んだ庭園がある。