半坪ビオトープの日記

称念寺


二本松駅前(北)にある二本松神社の近く(北東)に、二松山安達院称念寺がある。文治元年(1185)法相宗の尊道和尚により開山された際は松念寺と称した。弘安3年(1280)奥州に来ていた一遍上人に時の住職秀山和尚が帰依し、時宗に改宗開山し称念寺と寺号を変えた。天応14年(1586)伊達政宗による霞ヶ城落城によって信夫郡大森(現福島市)に移ったが、二本松初代藩主丹羽光重による町割完成後(1675頃)、現在地に移築再興された。現本堂は昭和44年に新築再建されたものである。

本堂手前左側に「浮彫阿弥陀如来三尊来迎供養塔婆」が安置されている。

中央に正面向きの来迎相を結ぶ阿弥陀如来が飛雲に立ち、左右の下方に観音と勢至を半肉彫りする阿弥陀三尊来迎像で、像形は迅雲来迎という鎌倉時代末法観、浄土信仰を示す。年紀はないが、南北朝末期造営と推定されている。福島県中通り地方特有の地方色の強い供養塔婆として、市の有形文化財に指定されている。

室町時代中期に奥州管領を命じられ二本松城を築城した畠山氏の菩提寺であり、畠山家累代墓所となっている。

本堂裏の広い墓地の一画に、累代の祖霊と「粟の須の戦い」で畠山義継と運命を共にした家臣23名の霊を祀った墓所があるはずなのだが、残念ながら広すぎて見つからなかった。

墓地の脇の道端に、無縁墓を整理したものか古い墓石が集められていた。

墓地の手前に観音堂がある。ここは安達二十番観音札所になっている。