半坪ビオトープの日記

誕生寺、御影堂


志呂神社から10kmほど北の久米南町に誕生寺がある。浄土宗他力念仏門の開祖・法然上人の誕生地とされる地に建立された、法然上人二十五霊場の第一番とされ、浄土宗の特別寺院で、山号は栃社山と号する。目を瞠るほど大きな山門は、正徳5年(1716)に建造された三間切妻造、本瓦葺の薬医門である。精緻な彫刻も施された豪壮な造りで、国の重文に指定されている。門の両側に付帯する筋塀は、安政4年(1857)伏見宮家より寄進されたものである。

境内に入ると目の前に樹高10m、目通り周囲5.9mの大イチョウがある。久安3年(1147)比叡山に旅立つ際、修行していた菩提寺より杖としてきたイチョウの枝を庭に挿したところ、活着し幹が逆円錐型に太り、枝が扇状に伸びる様から「逆木の公孫樹」の別名がついたという。

寺伝によれば、法然の弟子となり出家し法力坊蓮生と名乗っていた元坂東武者・熊谷直実が、建久4年(1193)、法然が自刻したとされる御影像を持参し、法然の父である久米押領使漆間時国の旧宅跡に、一堂を建て念仏道場を開いたことに始まる。建物は永徳年間(1381-84)に戦火で焼失、再建後の天正6年(1578)、日蓮宗徒により再度破却された。その後、元禄8年(1695)に現在の御影堂が再建された。桁行五間、梁間四間、二重入母屋造、向拝一間、唐破風造本瓦葺で、国の重文に指定されている。躍動感あふれる精緻な彫刻が随所に施され、彩色された蟇股の彫刻も目を引く。扁額は、かつての呼び名「誕生律寺」となっている。屋根の棟の中央には宝珠が金色に輝いている。西方浄土、極楽浄土の象徴とされる。屋根は老朽化のため、平成10年(1998)に修築工事を施された。

御影堂内部は、外陣を区切るだけで、内陣周りや位牌の間が仕切られない古式な平面を持つ。須弥壇の位置は、法然誕生の室のあった所とされる。本尊は鎌倉時代後期作の木造阿弥陀如来立像で、胎内印仏に「法然上人御生所御本尊」とある。堂内には、「八百屋お七」の位牌と振袖が安置されている。

御影堂の右手にあった旧阿弥陀堂は老朽化のために解体され、新たに瑞應殿として平成15年に再建された。建築材には国産の欅・檜・松・杉・ヒバが使用されている。堂内には大光背の阿弥陀如来像が安置されている。

御影堂の左手前には、「旅立ちの法然(勢至丸)」と、その無事を祈る「母の祈り」の銅像が建てられている。

御影堂の左側(南)に位置する宝形造の観音堂は、寛永8年(1631)、津山城主初代・森忠政が養母の大野木殿のために建立した生光院霊屋だった建物である。中国三十三観音特別霊場として、堂内に聖観音像を祀るが、「お七観音」とも呼ばれて信仰を集めている。元禄12年(1699)、当山第15世通誉上人が、当山本尊を江戸回向院、増上寺など出開帳の際、八百屋お七の遺族が振袖等を上人に渡し、お七の供養を依頼した。上人はそれを当山に持ち帰り、この観音菩薩の前で供養したという。

長承2年(1133)4月7日、勢至丸誕生の際、西より白幡二流飛び来たりて、椋の梢にかかりて7日の後、飛び去るという、誕生寺七不思議の一つ、両幡の椋(ふたはたのむく)・誕生椋(三代目)が片目川に掛かる無垢橋の脇にある。保延7年の明石源内定明の夜襲の際、9歳の勢至丸は小弓にて定明の右目を射る。定明、川に下りてその疵目を洗う。以後、この川に片目の魚が出現し、片目川と呼ばれるようになったという。両幡の椋の脇にある五輪塔の高さは123cmで、四面の各輪に五輪塔四門の梵字が刻まれ、美作守護職・赤松義則が願主として造ったものといわれる。

無垢橋を渡って進むと、法然上人の両親の霊廟・勢至堂がある。一角は土塀で囲まれ、入り口は薬医門となっている。奥に八脚門が建ち、手前側には花頭窓、向こう側には丸窓が設けられている。

保延7年(1141)3月、稲岡庄預所・明石源内定明は漆間一族との対立から突然夜襲に及び、法然の父・漆間時国に深手を負わせた。時国は死に際し、9歳の子・勢至丸(のちの法然)に定明を仇として追うことを戒め、出家して解脱を求めるよう遺言した。奈義山の菩提寺の住職・観覚(母の弟)のもとで修行し15歳になった勢至丸は、久安3年(1147)の春、比叡山に登るために母・秦氏に別れを告げた。その秋、母は37歳の若さで病没した。誕生寺では毎年4月、中将姫の現見往生を再現する「二十五菩薩練供養」の際に、法然の父母の供養も合わせて行われる。この練供養(会式法要)は、室町時代より続いているといわれ、日本三大練供養の一つとされる。
勢至堂の奥には、法然上人「産湯の井戸」があるという。

境内には苔むした五輪塔や石塔があちこちに見受けられる。これは勢至堂脇にある南北朝時代作という宝篋印塔である。

境内の左奥には、奥の院と称する浄土院という寺があり、石段を上がっていくと六角堂が建っている。元は法然聖人両親菩提寺である天台宗香華院という寺であったが、廃寺後、当山内に再建された。本尊は慈覚大師作と伝わる阿弥陀如来像である。