半坪ビオトープの日記

誕生寺、客殿


御影堂の右手には、庫裏・客殿(方丈)・中門・唐門・袴腰鐘楼が並ぶ。中門をくぐり客殿入口の唐門を入ると、有料(200円)だが客殿と庭園を拝観できる。

客殿は文政12年(1829)の再建である。客殿内部は、鶴の間、唐獅子の間、表上段の間、鷹の間、虎の間、蟇の間と続き、襖絵や書、屏風絵など貴重な寺宝の数々を鑑賞できる。

最初は鶴の間である。幕末の雪舟とも謳われた狩野法橋義信が、68歳の安政2年(1855)に描いたとされる。義信は客殿の七部屋のべ四五間、六六面全てを描いていて、これらの襖絵は法橋義信一代の傑作といわれる。南面においては波頭を越えて飛来する鶴の群れが描かれ、西面において降り立つ。

北面において、鶴は老松の下で羽を休めている。鶴が写実的に描かれているのに対し、老松は狩野永徳を彷彿とさせる豪快な筆捌きとされる。

ここは唐獅子の間、獅子牡丹風雨の図が描かれている。
狩野義信は、天明8年(1788)赤穂に生誕、姓を長安、名を義信周得または探雲斎と号した。大坂で土佐派を学び、京都で正信・元信などの画跡をたずね、狩野派を修学し、文政10年(1827)40歳にて画位・法橋に叙せられた。

ここは表上段の間。この手前には本堂・御影堂へと通じる回廊があり、そちらも拝観できる。

こちらには、法然上人一代絵伝が六幅対で掲げられている。多くの場面が有名な知恩院の絵巻に沿っているが、そうでない場面もある。表装の裏書きによると、元禄5年(1692)に津山藩第二代藩主・森長継の弟・関長政により寄付されたとある。

こちらは、法然上人直筆の書状(複製)。上人から弟子の熊谷法力房蓮生大法師(直実)にあてたものである。

ここが鷹の間の鷹と温め鳥の図。左の襖の鷹が見つめている、その左の襖に鳥が描かれていたが、あまりにも上手に描かれていたので、生命を受けて飛び去ったといわれる。

この辺りで廊下の外側に名勝の庭園が眺められる。落ち着いた池泉回遊式の庭園で、法楽園と呼ばれる。

鷹の間の右手には人物の間があり、竹林賢人の図が描かれている。古代中国の故事でよく題材となる、竹林の七賢図である。

人物の間の右手には虎の間があり、老松と虎が描かれている。

これでほぼ一周したことになる。入り口近くの蟇の間には、蟇仙人図が描かれている。蟇仙人とは、古代中国の仙人で、三国時代の呉の葛玄および五代後梁の劉海蟾(かいせん)を指し、ガマを使って怪しい術を行なったという。
他にも木食上人作という龍彫の如意、法然親鸞の吉水の出逢い像(建仁元年)、椋の霊木(御影)など由緒ある品々がたくさん展示されている。また、境内には宝物館も建っている。