半坪ビオトープの日記

宝泉院

宝泉院、盤桓園
勝林院の左手に宝泉院がある。大原寺勝林院の住職の坊として平安末期ごろよりの歴史を持ち、現在に至っている。現在の建物は室町時代文亀2年(1502)の再建と伝わるが、形式から見て江戸初期ごろの再建と推定されている。客殿の西方の庭は盤桓園と称するが、柱と柱の空間を額に見立てて額縁庭園とも呼ばれる。

二連式の水琴窟

部屋の中から格子越しに鑑賞する鶴亀庭園と呼ばれる庭園もあり、抹茶を味わいながら一服するのもよい。客殿の脇には、理智不二(りちふに)と命名された珍しい二連式の水琴窟があり、二つの筒から異なる音色が聞こえる。生命原理とその働きが一つになる大調和の慈悲と智恵の世界を、密教の教理で理智不二というが、左右二つの異なる水琴窟の妙音を通してその調和の心を体感されたい、とある。

宝楽園
宝泉院境内南側の低地に宝楽園という枯山水庭園が平成17年に作庭された。庭園作家の園冶が造園し、山形県や長野県などから約300トンの石を運んでいる。神岩組雲海流水回遊花庭を趣向し、地球太古の創世に遡り、その原初の海を想像した庭園である。

枯山水庭園の岩組
念珠石(海石)を用いて、三尊来迎の姿を表した岩組、あるいは亀甲石、銀石などの石を用いての岩組みによる坐禅石、蓬莱山、龍稚魚、宝船石、石橋等の神仙世界が繰り広げられている。手水鉢は平石を立てて囲んだユニークなものだ。

枯山水庭園
また、底地にコス(微細粒)の白川砂を敷き詰めた様子は、海流水を思わせ夜半にその砂に月光が照り映えて、あたかも銀砂幽玄の世界がそこに現れるという。

枯山水庭園
右手に僅かに見える三尊石の裏側は、築山に小振りな立石が配置され、手前の枯山水も趣向を凝らしている。

紅葉も真っ盛り
紅葉も真っ盛りで、下から空を見上げると眩しく輝くもみじがことのほか美しい。

様々なもみじ
まだ紅葉していないもみじから真っ赤に燃えるもみじまで、色付き具合の違いも楽しめる。

法華堂
勝林院から三千院へ戻る途中、実光院の向かいに法華堂がある。後鳥羽天皇の冥福を祈って仁治元年(1240)に建立された。一度焼失したが安永年度(1772-80)に再建された。本尊は普賢菩薩

鉈捨薮跡
三千院に戻る途中、鉈捨薮跡があった。文治2年(1186)の大原寺勝林院での法然上人の大原問答の折に、その弟子の熊谷直実は、「師の法然上人が論議に敗れたなら法敵を討たん」との思いで袖に鉈を隠し持っていた。しかし、上人に諭されてその鉈をこの藪に投げ捨てたといわれている。