半坪ビオトープの日記


この「墨堤植桜之碑」は、明治16年、成島柳北たちが墨堤に千本余りの桜を植えたのを記念して明治20年に建てられた。
墨堤の桜は4代将軍家綱が植えさせたのが最初で、8代将軍吉宗が100株を植えて、その後、幕末までに地元の人々や有志により植え増しされ、「江戸名所花暦」には江戸第一の花の名所と記されるまでになった。

墨堤植桜の碑の隣には「野口雨情の碑」がある。「都鳥さへ夜長のころは水に歌書く夢も見る」と刻まれている。昭和8年この地を来遊の折、唱われたものである。

桜橋の先の道路の両側に「長命寺桜餅」と「言問団子」の店が向かい合っている。長命寺寺男だった山本新六が桜餅を考案して、墨堤名物として江戸中に知れ渡ったのは元禄時代である。在原業平隅田川の渡しで詠んだ「名にしおはばいざ言問はん都鳥 我が思ふ人はありやなしやと」の歌にちなんで名付けられたという三色の言問団子は、明治の初めに考案されたといわれる。

桜橋の脇にあるこの灯籠は、墨堤常夜灯という。明治4年、牛島神社がこの付近にあった頃、神社への坂の途中に氏子達により建立された。隅田川を往来する川船のための燈台でもあり、墨堤の燈明も兼ねていた。灯籠を目印に花見客が集まったという。琴柱(ことじ)形の脚部を持つ独特の石灯籠で、明治の画家達は好んで墨堤の桜と常夜灯を組み合わせて向島の風情を描き出していた。

隅田川唯一の歩行者専用橋である桜橋は、昭和60年に完成したが、X字形の特異な形をしていて花見のシーズンには多くの人が渡る。台東区墨田区が折半して工費を捻出した姉妹提携事業である。

ともかく隅田川吾妻橋から桜橋にかけては、「隅田公園桜まつり」「墨堤さくらまつり」「桜橋花まつり」といくつも花祭りが開催されていて、花見客でごった返していた。
このように川の両岸に桜の木が連なり、満開の桜を眺めて楽しむことができるのだからうれしい限りである。船に乗って花見を楽しむのも乙なものと思う。