半坪ビオトープの日記

浅草寺、雷門


浅草寺表参道入口の総門は、切妻造の八脚門で、向かって右に風神像、左に雷神像を安置することから、正式には風雷神門というが、雷門と通称される。天慶5年(942)武蔵守平公雅により創建されたのが始まりで、現在の門は慶応元年(1865)の大火で炎上した門に替わり、昭和35年松下幸之助の寄進により復興された。大提灯は、松下電器パナソニック)により寄贈されている。

風神雷神像は頭部のみが古く、体部は慶応元年の火災で焼失後、明治7年(1874)に補作、昭和35年に補修と彩色が加えられている。こちらは右の風神である。

門の裏側には、金龍・天龍の龍神像が祀られ、風神雷神像とともに浅草寺護法善神として、伽藍守護・天下太平・五穀豊穣の守り神とされる。こちらの右の金龍は、仏師・菅原安男、左の天龍は、彫刻家・平櫛田中の作で、昭和53年に奉納されている。

雷門から宝蔵門に至る表参道の両側には土産物、菓子などを売る商店が並び、仲見世と呼ばれている。商店は東側に54店、西側に35店を数える。正月は、初詣客でごったがえす。

宝蔵門の手前西側に浅草寺の本坊である伝法院がある。小堀遠州作と伝えられる回遊式庭園があるが、通常、一般公開していない。平成23年に国の名勝に指定された。

伝法院のさらに西側に、伝法院の鎮守である鎮護堂がある。ここに祀られる鎮護大使者とはタヌキである。明治16年(1883)、境内には多くのタヌキが住み着き手を焼いていた。当寺の住職・唯我韶舜大僧正の夢にタヌキが現れ、「自分たちを保護してくれるならば、伝法院を火災から守ってやろう」と住職に告げたため、この堂を建てて鎮守としたという。現在の堂舎は大正2年(1913)の建立である。

仲見世の先には大きな宝蔵門が建っている。「応永縁起」によると、武蔵守平公雅が天慶5年(942)に建立したという。以来、数度の火災で炎上したが、その都度再建されてきたという。入母屋造の二重門で、昭和39年に実業家・大谷米太郎の寄進により再建された。コンクリート造だが、屋根は平成19年にチタン成形瓦に改修されている。大提灯は、日本橋小舟町奉賛会により奉納されている。

2体の金剛力士(仁王)像のうち、左のこの阿形像は、仏師・錦戸新観、右の吽形像は、木彫家・村岡久作の作である。

門の裏面には魔除けの意味を持つ巨大わらじがつり下げられているが、これは木彫家・村岡久作が山形県村山市出身である縁から、同市の奉賛会から奉納されたもので、わら2500kgを使用しているという。