半坪ビオトープの日記

東京

社殿の裏手には珍しい「三柱鳥居」がある。「三角石鳥居、三井邸より移す。原形は京都太秦、木島神社にある」と書かれているように、蚕の社とも呼ばれる木嶋(このしま)神社にある石造三柱鳥居が最も有名である。現在のものは天保2年(1831)に再建された…

前にも記したように三囲(みめぐり)神社は、昔「田中稲荷」と呼ばれていたという。近江三井寺の僧源慶が東国遍歴の際、この荒れた祠を再建したとき、土中より白狐にまたがる老翁の像を得、そのとき白狐が現れ神像を三回廻って去ったというが、それは鎌倉時…

元禄6年(1693)旱魃のとき、俳人其角が偶然当地に来て、地元の農民達の哀願により、この神に雨乞いする者に代わって、「遊(ゆ)ふた地や田を見めくりの神ならは」と一句を神前に奉ったところ、翌日降雨をみた。このことからこの神社の名は広まり、京都の…

牛島神社の東を通る見番通りを北に少し進むと、左手に三囲(みめぐり)神社の大きな社号票と一の鳥居が建っている。扁額には「三圍社」と書かれている。 三囲神社は、現在地より北の田んぼの中にあって「田中稲荷」と呼ばれていたという。文和年間(1353~55…

牛嶋神社の名の由来は、両国・向島の本所一帯が牛島といわれ、天武天皇の時代(701~64)に国営牧場が設けられ浮島牛牧と呼ばれていたからという。 社殿のすぐ右には小振りの小梅稲荷神社があるが、詳細は不明である。昔この辺りは小梅村といったのでかなり古…

隅田公園の水戸徳川邸跡の庭園の東に牛嶋神社がある。 古くは長命寺の近くにあり、牛御前社と称していたが、関東大震災後の隅田公園の設計の都合上廃社となり、昭和初期に現在地に再建された。明治初年の神仏分離後、牛嶋神社と改められた。 牛嶋神社の拝殿…

墨田区役所前に勝海舟の銅像が建っている。西郷隆盛との会談によって江戸城の無血開城を取り決めた海舟は、文政6年(1823)に本所亀沢町(両国4丁目)で生まれた。 生誕180年の平成15年に海舟の功績を顕彰して「建てる会」から銅像が墨田区へ寄贈され…

先週、まだ満開の桜が咲いていた頃に、隅田公園に花見に出かけた。浅草駅前の吾妻橋交差点には懐かしい神谷バーが今でも建っている。 昔、業平橋で働いていた頃、日本初のバーであるこの神谷バーに時々寄ったものだが、名物のデンキブランはかなり強くて5杯…

江戸時代に編纂された「新編武蔵風土記稿」に「極めて絶品」と紹介されている深大寺そばだが、徳川将軍家光が鷹狩りの際立ち寄り、そばの味を推奨したという説など、その歴史には諸説あるという。当時は「献上そば」とも称され、ごく一部の上層階級のみに食…

茅葺きの山門は、慶応元年(1865)の火災の際にも常香楼とともに被災を免れた建物で、現在、山内で一番古い建物である。屋根裏の棟札には元禄8年(1695)に山門の普請が行われたと記されていた。薬医門と呼ばれる形式で、柱、梁、組物などはケヤキ材である…

江戸時代の本堂が幕末の火災で焼失した後、本尊の阿弥陀如来像は仮に、再建した庫裡に安置されていたが、大正8年に今の本堂が完成した。 旧本堂は寄棟造の茅葺き屋根だったが、再建本堂は入母屋造の瓦葺に変わった。旧本堂の正面中央には入母屋破風の向拝が…

東京では浅草寺に次ぐ古い歴史を持つ深大寺の信仰の中心は、元三大師堂に祀られている元三大師像である。比叡山の第18代天台座主慈恵大師良源大僧正の自刻像が、正暦2年(991)に大師の高弟である慈忍和尚、恵心僧都の意を受けた寛印により遥か比叡山より…

神代植物公園を深大寺門から出るとすぐ右手に、玉乃屋、松葉茶屋というそば屋が並んでいる。この二つもそこそこの評判だが、この日は雨上がりなので人出が少ないだろうから、普段混んでいて入れないとの評判のそば屋に向かうつもりだ。 真っすぐ乾門に進まず…

柴又駅から金町線の線路の西に行くと柴又八幡神社がある。 鳥居をくぐって境内に入ると柴又用水の碑がある。根府川石の板石碑で、明治6年の銘文が刻まれている。天保6年(1835) に鈴木幸七によって用水路が引かれ、水利用と洪水の克服ができたことを顕彰し…

真勝院のもう一本北側の道路は金町浄水場に面している。その一角に金町浄水場に向き合って小さな水神様がある。 水神様(水神堂)は昔、柴又村の人々が庚申の日に雨が降らないように、そして井戸が涸れないようにと願って祀ったお堂という。 「本化別頭物祖…

柴又帝釈天参道のすぐ北にお寺がある。正式には真言宗豊山派の石照山真光寺真勝院というが、一般に真勝院と呼ばれる。 大同元年(806)の創立と伝えられる古刹であるが、開創の由来や開山等の名は明らかではない。永禄7年(1564)の国府台合戦の兵火など何…

柴又公園の堤の上から山本亭の建物が見える。山本亭は、大正末期から昭和初期の建物で、和洋折衷の建物と庭園が見事に調和されていて、東京都選定歴史的建造物である。 木造瓦葺き2階建てで、1階400㎡、2階50㎡、地下防空壕、土蔵、長屋門等からなる。 長…

帝釈天の裏、江戸川堤に面した川魚料理屋、川甚で予約しておいた昼食にした。 小鉢、鯉こく、鯉洗い、うな重、水菓子の花コースという簡素なセットだったが、個室でゆっくりできてよかった。 食後、江戸川河川敷の柴又公園をぶらぶら散策した。凧揚げに興じ…

柴又帝釈天といえば、「わたくし生まれも育ちも葛飾柴又です」の名文句で有名な映画、「男はつらいよ」シリーズが誰にも思い浮かぶ。 柴又に向かう京成金町線の電車にも、帝釈天と寅さんのポスターが貼られていた。 帝釈天の裏手には江戸川の堤に囲まれた河…

祖師堂(本堂)裏に位置するのが大客殿で、信徒の接待所として、昭和4年に完成した。総檜造りで、入母屋造瓦葺、平屋建ての左右に細長い建築である。東京都の選定歴史的建造物になっている。大工棟梁鈴木源治郎の設計による。 大客殿前に広がる池泉式庭園は…

帝釈堂の右に建つのが祖師堂で、帝釈堂と同じく入母屋造の拝殿と内殿が前後に並んで建つ。昭和27年および53年に大改修された。 柴又七福神としては毘沙門天が祀られている。 祖師堂の裏には大客殿が続く。これは外から見たところである。 祖師堂の入口に…

二天門から境内に入ると、正面にあるのが帝釈堂である。手前に「瑞龍の松」が枝を広げている。 昔より日蓮上人御親刻といわれる帝釈天の本尊が安置されていたが、江戸中期の一時所在不明となっていた。安永年間に至り第九代享貞院日敬上人が荒廃した寺の復興…

参道を進んでいくと、最初に構えているのが柴又帝釈天の二天門である。 この二天門は、十四代日孝上人のとき、明治29年に江戸期建築の最後の名匠といわれた坂田留吉棟梁により造られた総欅造りの豪壮な門である。入母屋造瓦葺の2階建て楼門で、屋根には唐…

仲間と連れ立って昨日、初詣と称して柴又帝釈天に出かけた。柴又駅前広場には「男はつらいよ」シリーズの主人公「寅さん」の銅像があり、待ち合わせ場所にもなっているようで、案内ボランティアの人達もこの辺りで観光客を待ち構えている。 参道に向かって歩…

深い森を抜けると芝生の広場が見えてくる。人影もまばらの憩いの場らしく、あちこちで家族連れや若いカップルがのんびりとひなたぼっこをしている。 広々とした広場に面して宝物殿の入口がある。宝物殿には、明治天皇・昭憲皇太后ゆかりの御物が収蔵・展示さ…

大正9年に創建された御社殿は、昭和20年の空襲により本殿も拝殿も焼失してしまったが、昭和33年に再建された。 初詣などで一般客が参拝するのはこの外拝殿であり、奥に内拝殿があるが撮影禁止であった。 新嘗祭などに招待されれば内拝殿に入ることがで…

参道を右に曲がると、楼門の前に三の鳥居が見える。左の掲示板には「新嘗祭」の説明がある。この日がちょうど新嘗祭の当日だったが、宮中で行われるはずの天皇による祭儀は、身体の具合が悪く掌典長が代理したといわれる。宮中恒例の祭典の中で最も重要な新…

先日、青空のもと明治神宮を散策した。明治神宮といえば初詣かハナショウブの咲く御苑に行くだけだが、それも近年記憶にない。 実際には北参道から入ったが、やはり原宿駅に近い南参道口の一の鳥居からたどってみよう。 大正9年(1920)創建の明治神宮は、…

目白駅の近くに、韓国料理店・シオンがある。韓国の伝統食文化と日本食のトレンドを融合させた創作料理に挑み続けている。韓食財団が選定する「優秀韓国レストラン」に認定され、「東京韓国レストランガイド2011」にも掲載された。 ランチはナムル・キムチ付…

池袋西口の芸術劇場の脇を入った所に、マレーチャン(MALAYCHAN)というマレーシア・エスニック料理の店がある。 マレーチャン(馬来煎)とは、エビを発酵させたプラチャンという調味料に、干しえびやレモングラス、ショウガ、ニンニクなどをスパイスを加え…