半坪ビオトープの日記

小石川植物園


先週末、遅ればせながら友と連れ立ち花見に出かけた。場所は東京の文京区の小石川植物園
途中、播磨坂という桜並木があったが、残念ながら既にほとんど花が散っていた。
小石川植物園は、東京大学大学院理学系研究科附属の植物園で、約330年前の貞享元年(1684)に徳川幕府が設けた「小石川御薬園」が遠い前身であり、日本で最も古い植物園である。
正門から中に入るとすぐ左手に「精子発見のソテツ」がある。坂を上って本館を過ぎると、ソメイヨシノの桜並木があって、まだ花がたくさん咲いていた。

面積は約16万平米で、約4000種の植物が植えられ、一般公開もされている。
園内には、「精子発見のイチョウ」「ニュートンのリンゴ」「メンデルのブドウ」「甘藷試作跡」など多くの記念樹や遺構がある。
桜並木の北側に温室があり、その手前に「メンデルのブドウ」が植えられている。遺伝学の基礎を築いたメンデル(1822-84)が、実験に用いたブドウの分枝で、大正3年(1914)に分譲されたものである。その後、メンデル記念館のブドウが消滅したため、このブドウの分枝を里帰りさせたという。

その左には「ニュートンのリンゴ」が植えられている。物理学者ニュートン(1643-1727)が、リンゴが木から落ちるのを見て「万有引力の法則」を発見したが、ニュートンの生家にあったその木は接ぎ木によって各国に分譲されている。この木は、昭和39年に送られた枝を接ぎ木したものである。

温室には約1500種ほどの植物が育てられているというが、公開は一部のみで極めて少ない。珍しいものとして、ユリ科のツバキカズラ(Lapageria rosea)が花開いていた。チリ南部原産のつる性常緑多年草で、チリの国花である。

桜並木の先には、薬園保存園、分類標本園があるが、まだ花の咲いているものは少なかった。青木昆陽は、享保20年(1735)に幕府に進言し許可を得てここで甘藷の栽培を試みた。試作は成功し、全国に甘藷が栽培されるきっかけとなった。その「甘藷試作跡」がある。
その先には「旧養生所の井戸」がある。小石川養生所は貧困者のための施療所で、町医者小川笙船の意見により、享保7年(1723)につくられ、明治維新の時に廃止されるまで続いた。この養生所の井戸は、今も水質がよく水量も豊富で、関東大震災の時には避難者の飲料水として大いに役立ったという。

井戸の北にはツツジ園があり、早くもミツバツツジ類が咲いていた。これは、タンナアカツツジ(Rhododendron weyrichii form. psilostylum)というオンツツジの変種で、韓国済州島に分布する。タンナ(耽羅)とは、済州島の古名である。

その北に「精子発見のイチョウ」が、葉のない姿で突っ立っている。明治29年(1896)理学部植物学教室助手の平瀬作五郎が、この大イチョウを研究材料として、種子植物にも精子が存在することを発見した。これは日本初期の生物学者による世界的な発見で、生物学上の偉業とされている。

イチョウの西に進むと、ボダイジュ、ユリノキ、シマサルスベリなどの樹林が続く。突き当たりを南に下ると、「日本庭園」がある。植物園最奥の日本庭園は、第5代将軍徳川綱吉の幼児の居邸であった白山御殿の庭園に由来するもので、江戸時代末期には蜷川能登守の下屋敷の一部になっていた。造園家は不明だが、江戸時代の代表的な庭園といわれる。
庭園の西端に「旧東京医学校本館」が建っている。東大関係の現存する最古の建物で、明治9年(1876)に建築され、昭和44年に本郷より移築された。手前にソメイヨシノがまだ咲き残っていた。