半坪ビオトープの日記

奥多摩のスミレ


春に咲く小さな花の代表格ともいえるスミレの花の種類は多く、世界には約400種、日本には約50種あるといわれるが、さらに非常に多くの変異や品種が知られていて、学名が与えられているスミレの種類は200にも達する。日本は「スミレ王国」とさえいわれ、奥多摩にも30種類ほどスミレの花が知られる。奥多摩むかし道を歩いただけでもいくつか見つかった。このタチツボスミレ(Viola grypoceras)は、日本で最も普通に見られるスミレである。日本中の海岸や野原から亜高山まで分布し、花の色も薄紫色が多いが変異も多い。葉がハート型で、茎の高さは10cmほどだが、花後、茎が伸び始め高さは30cmほどになる。

こちらもタチツボスミレと思われるが、紫色がかなり濃くなっている。タチツボスミレの近縁種も多くあるが、素人には同定が難しい。

国道から大きく離れて北に回り込んだ先に、「不動の上滝」がある。落差は約7m。旧道下に不動尊が祀られていることから、不動の上滝として行き交う人々に安らぎを与えてきたという。滝つぼで釣りをしている人がちょうど小魚を釣り上げた。ヤマメかイワナだろうと思われる。

こちらの青紫色の花は、セリバヒエンソウ(Delphinium anthriscifolium)である。原産地は中国で、日本へは明治時代に観賞用に渡来し、現在は関東地方で野生化している。花弁のように見えるのは萼片で5枚あり、花弁は萼片の内側に4枚あるが短くて目立たない。葉は2、3回3出複葉で、羽状に切れ込み、互生する。草丈20〜40cmになる1年草で、花は可愛らしいが強い毒性がある。

やがて国道に合流する寸前、左手の旧な石段を上がって桧村集落を抜けていく。集落内では、八重桜やハナモモの花が満開に咲き盛ってにぎやかである。

徐々に坂道を進んでいくと、槐木(さいかちぎ)という休憩所に着く。その先は羽黒坂の下りだ。かつて交易のための荷物を背負ったり、大八車を引いたりした人たちの憩いの場として親しまれたこの地には、槐木と呼ばれる巨木があり地名となった。槐木に向き合う赤松の根元には、正徳2年(1712)の修行僧木食3世真円謁の念仏供養塔や文化13年(1816)の馬頭観音などがある。槐は幹や枝に鋭いトゲがあるため木偏に鬼と当て字で書くが、豆科の日本固有種で、木材は建築・家具・薪炭用に用い、豆果はサポニンを含み、生薬で去痰薬、利尿薬として、また洗濯用にも使われた。

槐木を過ぎると羽黒坂を下っていく。ハナモモのほかレンギョウの花も黄色く咲き誇っている。

やがて道端に石仏が並んでいた。木魚に凭れかかって居眠りする小僧の背中には、ネズミが登っている。

右手の谷に見えるのは、廃線の高架跡である。この線路は、小河内ダムを建設するために作られた水根貨物線で、ダム完成後に廃線となって半世紀以上経っている。

こちらの白いスミレは、ケマルバスミレ(Viola keiskei)である。その名の通り丸い葉に毛が生えている。本州、四国、九州の山野に生える多年草で、花期は4〜5月である。

こちらのスミレは、エイザンスミレ(Viola eizanensis)である。比叡山に生えていたためこの名がある。本州〜九州の山地の木陰に生えるスミレで、葉の付け根まで大きく3つに裂け、それぞれに深い切れ込みがある。薄いピンク色の花には香りがあり、花期は4〜5月である。

こちらの花は、民家の近くで見かけたので、園芸品種のパンダスミレ(Viola banksii / hederacea)であろう。タスマニアビオラとかツタスミレとも呼ばれるオーストラリア南部原産の園芸種である。非常に強健で、こぼれ種でもよく増えるので野生化しやすい。