半坪ビオトープの日記


一昨日、友人と連れ立って根津神社のつつじまつりに出かけた。
根津神社は、日本武尊千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、東京十社の一つに数えられている。文明年間(1469~87)には、江戸城を築城した武将として有名な太田道灌が社殿を奉建している。

こちらは裏門の鳥居で、裏門の前の坂道は根津裏門坂という。坂上の日本医大の西横を曲がったところに、夏目漱石が「我が輩は猫である」を書いた家があったのだが、今は明治村に移築されている。

宝永2年(1705)五代将軍徳川綱吉は、世継ぎが定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より遷座した。
翌年完成した権現造の本殿・幣殿・拝殿・唐門・透塀・楼門すべてが現存し、重文に指定されている。これが3間1戸、入母屋造、桟瓦葺きの楼門である。江戸の神社の楼門で残っているのはここだけである。

楼門右側の随身は、徳川光圀がモデルと伝えられている。

銅瓦葺き、1間1戸の唐門の両妻側には、波形の唐破風を備えていて、この形式を平唐門という。根津神社の社殿の周囲をぐるりと囲んでいる銅瓦葺きの透塀も重文である。
300年経つのに全長200mに全然狂いがないという。最近の調査で、内側全体、地中8mの深さまで基礎工事がしてあると分かったそうだ。

透塀にもう一つある西門は、棟門という形式の門であり、簡素な形の門なので、強度不足で残っているものは少ないといわれる。