半坪ビオトープの日記


次に下田街道を北上して三嶋大社に向かった。三嶋大社の創建の年代は不明だが、古くより三島の地に鎮座し、三嶋大明神と称せられ、元の官弊大社である。
三嶋はもともと「御島」の意で、富士火山帯の根元の神、伊豆の国魂の神、国土開発の神として朝野の信仰を集めてきた。
平安時代初期の延喜式神名帳には「伊豆国賀茂郡伊豆三島神社」と記され、明神大に列せられている。遷宮の伝承も、三宅島(現、富賀神社)→下田、白浜海岸(現、伊古奈比竎命神社)→大仁町(現、広瀬神社)→現在地となっている。伊豆国一宮であり、総社も兼ねていた。

大きな鳥居をくぐると大きな神池があるが、その手前すぐ右にたたり石がある。旧東海道の中央にあって、交通整理の役目を果たしていた。本来、たたり(絡朶)とは糸のもつれを防ぐ用具である。ところがこの石を取り除こうとすると災いが重なり、いつしか「崇り石」との意味になったという。

しだれ桜に囲まれた神池はよくある心字池で、1185年には源頼朝放生会を行った。左側の神池には厳島神社がある。北条政子勧進したとの社伝を持つ。

外構えの門である総門は、初めて台湾檜が使用された昭和の代表的な神社建築のひとつといわれる。建築中に伊豆震災にあったが、昭和6年に竣工した。