半坪ビオトープの日記

寒川神社、拝殿


11月上旬、鎌倉に行った数日後に、神奈川県の寒川神社を訪れた。相模川河口から7km遡った左岸の低台地上に鎮座する。古代には相模湾がこの辺りまで入り込んでおり、神社からさらに8km上流の海老名市国分付近に相模国府があったと考えられている。

平安前期の延喜式に載る式内社で、相模国唯一の明神大社である。後に相模国一宮になっている。神池橋の先には、平成2年に立て直された桧造りの三の鳥居がある。一の鳥居は1kmほど南にある。

神池橋を渡り参道を進むと右手に、旧一の鳥居が解体されて横になっている。寛政8年(1796)に奉納され、安政2年の江戸大地震大正12年関東大震災と二度の震災により倒壊したものである。

祭神として寒川比古命寒川比女命をまつり、寒川大明神と総称する。古代、相模川沿いには相模国造がおり、また社が高句麗系渡来人入植地である高座郡に属することから、この地の有力豪族が造営したと考えられている。
木々に囲まれた参道を進むと境内が広くなり、大きな狛犬と豪壮な神門が構えている。平成5年に改修されたという重層の神門は、毎年正月には干支ねぶたが飾られ、ライトアップもされるそうだ。

天平神護元年(765)、あるいは神亀4年(727)に創建、承和元年(834)に再興とあるが、詳細は不明である。文献では、承和13年(846)従五位下の神階を授かるという記録(続日本後紀)がある。寿永元年(1182)には、源頼朝が頼家の誕生にあたり馬を奉納し、北条政子北条義時なども社参し奉幣している。

大永2年(1522)には北条氏綱が社殿を造営し、天文15年(1546)には北条氏康が宝殿を再興している。天正19年(1591)には徳川家康により100石の社領が与えられた。

現在の社殿は、平成9年に建てられ、総檜造りで東西翼殿をはじめ付属施設があり、拝殿には一度に216名が参拝できる席が設けられている。「視聴率祈願の神社」としても知られ、テレビ関係者の祈願も多いという。

東回廊のすぐ後ろに大きな客殿が建っている。平成4年竣工で、祈願の受付所ともなっている。