「夫婦楠」
社伝によれば、住吉大神の守護によって三韓征伐を成し遂げた神功皇后が、その帰途現在の郷ノ浦町大浦触に上陸して、住吉三神を祀ったのに始まり、日本初の住吉神社と称している。その後、神託により「波の音の聞こえぬ地」を選んで、現在地に遷座したという。
儀式殿の前に立つ大きなクスノキは、根元の部分から幹が二股に分かれ、「夫婦楠」の愛称で親しまれている。また、神池近くに立つクスノキの神木は、江戸時代末期の『壱岐名勝図誌』に「此楠に現人神鎮座せり 枝葉ことに繁茂れり」と記載され、当時からすでに巨木になっていたという(目通り5.2m)。
拝殿の裏手は石垣が積み上げられて一段高くなっており、玉垣が設けられて近寄りがたい本殿を囲んでいる。住吉神社は、明治四年(1841)に国幣中社に列格し、壱岐で唯一の官社となった。大阪の住吉大社をはじめ、下関、博多の住吉神社と並び「日本四大住吉」と称される。
建国神話で高皇産霊神が山城と大和に移し祀られた折、山城国では壱岐県主が祭祀者となったという。日本の古代祭祀の原型が壱岐・対馬で発生したのではないかともいわれる。大宝律令に神々の祭祀を司る神祇官が置かれ、出仕する卜部に壱岐から10人が出仕し重要な地位を占めていたことなどから、古来より壱岐は、神々に使えるものが多く、神々の島といわれてきた。壱岐は対馬同様に式内社が多く、西海道神107座98社のうち24座24社があり、約四分の一を占めている(対馬は29座29社)。