半坪ビオトープの日記


乗蓮寺境内、東京大仏の手前右に「忘れまい天保の大飢饉」と書かれた立札があり、「南無阿弥陀佛」の名号が刻まれた供養塔が建っている。
天保4年から始まった飢饉だが、天保8年(1837)には、幕府が新宿、品川、千寿、板橋の4宿に救助小屋を設けて救済した。けれども餓死者は続出した。
当時仲宿にあった乗蓮寺の住職が死者を寺内に埋葬し供養塔を建立した。塔の台座には天保8年の8ヶ月間で亡くなった423人の戒名が刻まれている。

大仏の左側には奪衣婆、我慢の鬼、役の小角、文殊菩薩などの石像もある。これらの石像は戦国武将、藤堂高虎朝鮮出兵の折持ち帰ったもので、津藩藤堂家の駒込屋敷にあったものだそうだ。

境内に上がる階段の脇には紅葉が盛りを迎えていた。大仏の後ろには、一宿一飯地蔵や説教浄瑠璃の家元、若松若太夫の墓などもあるが、またの機会に取り上げよう。

墓地には、世界初の五大陸最高峰登頂者として有名な植村直己の墓があり、詩人、草野心平による「植村直己を讃える詩」が彫りこまれている。
1984年にマッキンリーで消息を絶つまでの15年間住んだ、板橋区の蓮根に植村冒険館があるほか、出身地の兵庫県豊岡市には植村直己冒険館、北海道帯広市には植村直己記念館がある。