半坪ビオトープの日記


松月院の脇の坂を下りていくと左手に乗蓮寺がある。浄土宗の寺院で赤塚山慶学院と号し、以前は芝増上寺の末寺であったが現在は別格本山である。

正門や山門の扉には徳川家を意味する葵の紋が掲げられている。

正門右には閻魔堂があり、閻魔大王と奪衣婆(脱衣婆)が座っている。この閻魔王は今でも仲宿にある文殊院閻魔王とともに、板橋二大閻魔として江戸時代より信仰されていた。

創建は室町時代初期に了賢無的和尚が下板橋山中(現、仲町)に草庵を結んだとされ、安土桃山時代に旧中山道に面した仲宿に移っている。
天正19年(1591)関東に入った徳川家康から10石の朱印地を寄進され、幕末まで引き継がれた。八代将軍吉宗が鷹狩りの際、休憩所、御善所として使われた。
長く仲宿にあった乗蓮寺は、首都高建設のため1973年に赤塚二の丸跡に移転し、山号も赤塚山と改称した。本堂に安置されている本尊は、室町時代の作と伝えられる阿弥陀三尊像である。

本堂の手前右側に青銅製の阿弥陀如来露座大仏、通称東京大仏がある。日清、日露、第二次世界大戦での戦死者を供養するために、1977年に造立された。
総高13m、像の高さ8.2mで、青銅製では日本第三位の大仏と完成当時は言われていた。