半坪ビオトープの日記

大洞赤城神社


吹割の滝から老神温泉の脇を通り、赤城山の北麓を南に上り詰めた大沼湖畔に、大洞赤城神社が建っている。全国に約300社ある赤城神社の本宮と推測される論社の内の一社である。延喜式神名帳名神大社上野国勢多郡赤城神社の論社には、赤城山頂に鎮座する当社のほか、山腹の三夜沢赤城神社山麓二宮赤城神社があり、確定していない。当社は赤城神社の山宮と推定されているが、三夜沢赤城神社も二宮に対する山宮とされることもあってはっきりしない。

創建は不詳だが、古代から山の赤城大明神、沼神の赤沼大神として祀られたといい、湖畔からは古くに祭祀に使われた鏡も発見されている。社伝では、崇神天皇の皇子・豊城入彦命が上毛野を支配することになった際に、山と沼の霊を奉斎したという。その後、允恭天皇用明天皇の時代に社殿を創設したと伝える。創祀当初は、神庫山(地蔵岳)中腹に祀られていたが、大同元年(806)大沼の南の畔(大洞旧社地)に遷座し、その年の年号に因んで大洞(だいどう)と呼ばれるようになったという。

大洞赤城神社は、江戸時代には厩橋城(前橋城)の鬼門を鎮めるものとして、前橋藩主の信仰が篤かった。慶長2年(1601)酒井重忠により社殿改築。寛永19年(1642)には藩主酒井忠清により、前年に火災で焼失した社殿が造営された。この社殿が老朽化したため、昭和45年(1970)大沼にある小鳥が島に再建され、平成18年に大修復されている。本殿の屋根には、外削ぎの千木と5本の鰹木があげられている。
主祭神として、正殿に赤城大明神大国主命磐筒男神磐筒女神経津主神豊城入彦命を祀り、相殿に徳川家康大山咋神を祀る。

赤城山(あかぎやま)は、榛名山妙義山と並び上毛三山の一つに数えられ、最高峰黒檜山(1,828m)を始め、外輪山が取り囲んだカルデラ内には、カルデラ湖の大沼や覚満淵、火口湖の小沼がある。赤城山の火山活動は、50万年前、15万年前、4.5万年前の形成期のあと、2.4万年前に小沼火口が形成され、建長3年(1251)に小規模な水蒸気爆発があったと推定されている。赤城神社がある大沼は、標高1,345mとされ、冬には氷上でワカサギ釣り、スケートが行われるという。4月中旬でも湖水は表面が凍っていて、氷の上に雪が積もっていた。

ビジターセンターのある覚満淵の畔に、十割そばの「風の庵」がある。

古民家風の店内には、手作りの陶器が並べられ、囲炉裏やまきストーブがあって感じが良い。
窓辺から外を眺めると、庭のえさ場でシジュウカラが忙しく餌をついばんでいた。

野菜天ぷらそばは、十割そばという蕎麦はおいしく、塩で食べる天ぷらもそれなりにおいしくいただけた。

温かいきのこそばは、きのこがたくさん入っていて美味しい。

近くの赤城ビジターセンターを覗いてみた。赤城山の成り立ちや赤城山に生息する動物、植物などを展示し、外輪山や湖沼巡りのハイキングコースも紹介している。せめて覚満淵を一周しようと計画していたが、残念ながら霧が立ちこめてきたので諦めた。