半坪ビオトープの日記

太鼓谷稲成神社、本殿


津和野の町を南北に流れる津和野川の西に聳える、津和野城(三本松城)跡のある城山の北の裾に、城下町・津和野の町を見守るように太鼓谷稲成神社が華麗な社殿を構えている。神社への参道は、町の中心である大橋近くの、鷺舞で知られる弥栄神社脇から約1000本の鳥居のトンネルをくぐって登っていくのだが、車ではこの御幸橋を渡って左から上がっていく。

稲荷神社は日本全国に点在し、主祭神として祀られる社が約3000社、境内社・合祀などすべての分祀社では約32000社あるといわれる。太鼓谷稲成神社は、京都の伏見稲荷を総本社として、笠間稲荷・竹駒稲荷・祐徳稲荷とともに日本五大稲荷の一つとされるが、数え方には諸説ある。それはともかく稲荷神社としては日本で唯一「稲成」と表記するとされる。車で上る道の途中には、津和野城跡へ至る近道として便利なリフトの乗り場がある。

太鼓谷稲成神社の駐車場から城山を眺めてみたが、木々に隠れて津和野城跡は確認できなかった。

駐車場のすぐ上にきらびやかな太鼓谷稲成神社本殿が構えている。右手の車お祓所の奥に宝物殿があり、津和野藩の天文学者・堀田仁助が文化5年(1808)に作成した天球儀・地球儀や、江戸幕府天文方・高橋景保伊能忠敬測量図を模写した紙本著色日本国地理測量之図・紙本著色東三十三国沿岸測量之図、綱吉将軍筆の雀図、亀井茲監所用品等亀井家関連資料など神社博物館では大変充実した収蔵品が展示されているので期待していたが、残念ながら事前予約していないと見学できなかった。

駐車場から階段の上の広い境内に出ると、正面には大きな社務所があり、右手に元宮があり、社務所の左に本殿が建っている。

太鼓谷稲成神社は、安永2年(1773)津和野藩7代藩主・亀井矩貞が、藩の安穏鎮護と領民安寧のために京都の伏見稲荷大社から勧請を受け、三本松城(津和野城)の鬼門に当たる太鼓谷の峰に社を創建したのに始まる。以降、歴代藩主の崇敬を受け、廃藩後は庶民も参拝できるようになり、中国地方有数の稲荷神社となった。

祭神として、宇迦之御魂神(稲成大神)と伊弉冉尊(いざなみのみこと、熊野大神)の両女神を祀る。年間の参拝者は100万人を超えるといわれ、島根県では出雲大社に次いで2位である。

神前にお供えするお揚げも1包150円で用意されている。拝殿、元宮、命婦社がお供え所とされている。

きらびやかな社殿は、西側の山を切り開いて造成した所に、昭和44年に竣工した。