半坪ビオトープの日記

高房神社、湯殿山神社


栗山郷の湯西川筋には赤沢と川戸平、そして一つ石の3ヶ所に高房神社が祀られている。温泉街の西外れにある赤沢の高房神社は上社とされる。

長い石段の先の森の中に、古めかしい拝殿が鎮座している。高房神社上社には、諏訪神社が合祀されており、御神像は木造一木造りで彩色が施されているという。

古文書によると、永正元年(1504)に建立されたという。祭神は藤原高房であり、藤原鎌足の6代後である。越前の鎮守府将軍で、没後正一位高房大明神(戒名)となった。かつてこの地域は藤原領であり、徳政を敷いた鎮守府将軍を村の鎮守様として祀っていたようだ。

梁間1間、桁行1間の社殿の造りは、迫力のある豪快な彫刻が随所に施され、彩色の名残も見られて優雅な出来映えが容易に想像できる。社殿側壁の脇障子に施された大きな彫刻は鳳凰であろうか。たいへん珍しい意匠である。社殿は、日光市の有形民俗文化財に指定されている。

8月のお祭りには獅子舞が奉納される。社殿の右手には、稲荷社など小さな境内社がいくつか祀られている。

湯西川温泉街を下るとすぐ左手に湯殿山神社の鳥居が建ち、その奥に社殿がある。

湯西川に温泉が発見された時に、湯の守り神として羽黒山の土を当地に移し、御神体の湯滝になぞらえてお山を造り、神霊を勧請したと伝えられる。本殿は、間口1間奥行2間の流造で、主祭神として大山祇命、配神として月読命、出羽命を祀る。

湯西川温泉の本家伴久の脇を下って湯前橋で湯西川を渡ると、左手に浄土宗の仏照山湯覚院慈光寺がある。明治時代には、本堂が仮校舎として湯西川学校が開校されたという。現在の本堂は、間口7間、奥行5間で、昭和30年に再建されたものである。

湯前橋の奥にある慈光寺から、湯西川の右岸を遡ると湯平橋に出る。その右手の建物群を平家集落と呼ぶ。

帰りがけに湯西川水の郷に立ち寄った。源泉掛け流しの温泉浴場、足湯、食堂、売店などのほか吊橋もあり、癒しの観光スポットを目指している。