帰る途中、日光杉並木のある今市を通ったので、今市宿の西外れにある今市総鎮守・滝尾(たきのお)神社に立ち寄った。大きな一の鳥居は、木造でかなり年数が経っているらしく、朽ち始めているのが気にかかる。全国的にも珍しい風車を祀る神社で、黄色・ピンク・赤色別に、商売繁盛・縁結び・健康長寿などの祈願が込められているという。狛犬もかなり古そうだ。
一の鳥居を潜ってすぐ右手に、市神神社が祀られている。もとは上町の通りの中央に建っていた神社で、明治時代以前、1と6のつく日に立った今市宿の六斎市の市神であった。市の名残は2月11日の花市で、400もの露店が立ち並ぶという。祭神は、商売繁盛の事代主命である。
参道を進むと小川を渡る叶願橋が架かっている。参拝の行き帰りに願い事を5回唱えると願いが叶うという。
二の鳥居の先に社殿が見える。この堂々とした石造明神鳥居は、棟高4m、地元大谷川産の石材を用い、約400~500年前の建立と推定され、日光市の有形文化財に指定されている。
拝殿の前には屋根付きの賽銭箱が置かれている。天応2年(782)勝道上人が日光二荒山(男体山)上に二荒山大神を祀ると同時に、この地に滝尾神社を祀ったのが始まりと伝わる。寛正元年(1460)改築され、現在の神域が整ったとされる。宝暦元年(1751)、明治15年(1882)に火災で焼失し、明治24年(1891)再建された。
祭神としては、田心姫(たごりひめ)命、大己貴命(大国主命)、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)を祀っている。田心姫命(多紀理比売命)は、天照大神と須佐之男命の子である宗像三女神の一人であり、日光女峰山の女神としても祀られ、「女体中宮」と讃えられている。味耜高彦根命は、大国主命と田心姫命(多紀理比売命)との子である。
本殿の右側には茅葺の皇太神宮が祀られている。その右手には、富士山と二荒山神社の石神も祀られている。
拝殿の裏には幣殿が続き、さらに本殿が続いている。質素な本殿はかなり高い石垣の上に建っている。
社殿の左手には、正八幡宮と宇佐八幡宮の合社、八坂神社と琴平神社の合社が祀られている。八坂神社の祭神は、誉田別命であり、毎年7月の例祭では300人の担ぎ手が大神輿をもみ、市街地を練り歩く。
さらに左手には、雷電神社と菅原神社の合社および稲荷神社が祀られている。
それらの境内社と社殿の間には鳥居がある。この三の鳥居も、高さ2.8mの石造明神鳥居で、二の鳥居と同じく日光市の有形文化財に指定されている。
三の鳥居の奥には、苔むした小さな石祠が祀られているが、これが今市滝尾神社の奥社である。
これで、7月中旬に出かけた大田原、塩原、湯西川の史跡巡りを終えた。