半坪ビオトープの日記

那須温泉神社


殺生石の手前西側に温泉(ゆぜん)神社がある。道路に面した一の鳥居の奥に社務所があり、その奥にこの二の鳥居がある。扁額は、一の鳥居と同じく石製のようだ。

二の鳥居の右手に相撲の土俵がある。

その先には見立神社がある。

この地に温泉を発見し、温泉神社を創建した狩野三郎行広が、温泉開発の祖として、天児屋根命とともに見立神社の祭神として祀られている。

参道の左手にはカエルの石像と、その右に水琴窟がある。その他、愛宕神社の鳥居と祖霊社の鳥居も参道の左手に建っている。

参道には三の鳥居が建っている。文治元年(1185)那須与一宗隆は、源平合戦屋島の戦いで、温泉神社に祈願し、見事扇の的を射た。与一はそれに感謝し、翌年この鳥居を奉納したという。
その右手にあるミズナラの巨木は、推定樹齢約800年の御神木である。

参道の左手の一段高くなった所に境内社と小さな祠がある。境内社には、琴平神社、神明宮、山神社が合祀されている。
祭神は、それぞれ大物主命、大日霊命、大山祇命である。

参道を進むと社殿の建つ境内が石段の上と高くなるが、その直前の左手に芭蕉の句碑がある。
元禄2年(1689)芭蕉奥の細道の途中でこの神社に参詣して、那須与一奉納の鏑矢などの宝物を拝観している。「奥の細道」ではなく門人曾良随行日記に、「温泉大明神の相殿に八幡宮を移し奉りて、両神一方に拝させ玉ふを、 湯をむすぶ誓も同じ岩清水 翁」とある。