半坪ビオトープの日記

美保神社、神門


美保神社がある美保関は、島根半島東端に位置する。『出雲国風土記』には「三保郷」がみえ、国引き神話では八束水臣津野命が出雲のクニを広くしようと、「狭田国」「闇見国」に続いて「三穂の埼」を引いている。古代には半島北側(日本海側)の雲津などが港機能の中心地であったが、中世になり日本海水運が発展するなか、南側(美保湾側)の美保神社周辺に中心が移った。
小さな美保関漁港に面して参道鳥居が建っている。

短い参道の先、境内入口にも社号標と二の鳥居が建つ。

二の鳥居の右手前には、廻船御用水という井戸がある。文久元年(1861)夏、大旱魃に見舞われた町民は「美保大明神」に願をかけ、この地を掘ったところ真水がこんこんと湧き出し、あまりの有り難さに「影向の水」と名付けたという。以来、この水は枯れることなく「おかげの水」として大切にされているという。井戸の掘削には廻船問屋や諸国の北前船の船頭や船主も浄財を寄進したという。

二の鳥居の先の石段の上の左右には、堂々とした狛犬が鎮座している。嘉永3年(1850)生まれの出雲丹後狛犬で、目には黒い玉がはめ込まれている。

境内の右には宝物収蔵庫が建ち、左手に手水舎があり、正面の石段を上がって左手に進むと、廻廊付きの神門が建っている。

手水舎の左手奥には、なにやら境内社が建っているが、詳細は分からなかった。

廻廊付きの神門には、大きな注連縄が吊られている。

注連縄は、神前または神事の場に不浄なものの進入を封ずる印として、三つの〆の子の間に二つの神垂(紙垂、かみしで)を垂らした縄である。さらによく見ると、真中の〆の子の向こうに白い二連の祓解(ばっかい)と呼ばれる祓幣(はらえぬさ)が吊り下げられている。

廻廊の神門の近くには、大きな太鼓の大鼕(とう、鼓の下に冬)がある。松江市は、秋の祭りで鼕を叩いて町内を巡る鼕行列があることで知られるが、これも数多い美保神社への奉納鳴物の一つである。廻廊にはほかにも帆船の額絵や事代主命の面などの奉納の品々がたくさん掲げられている。

廻廊のはずれには、大きな般若の面が掲げられている。