半坪ビオトープの日記

倉吉八幡宮


倉吉市役所のある旧市街地の南には、山名氏が築いた打吹城跡のある打吹山(204m)が秀麗な姿を見せている。その西麓に八幡神社がある。一の鳥居の先に随神門が見える。

かなり大きな境内に入ると、すぐ右手にまた小さな鳥居があって、小さな境内社が二つ祀られている。

随神門の手前の左手にも小さな境内社が祀られている。

十数段石段を上ったところに、しっかりとした随神門が建っている。

随神門の右手にも、小さいながら流造の境内社がある。

なおも三十段ほど石段を上ると、笠木が割れている二の鳥居が建っている。さらに三十段ほど上に、ようやく拝殿が見える。

倉吉八幡宮の創立年代は不詳だが、文明18 年(1486)因幡守護山名豊明社殿を造営す、永禄年中(1558-69)毛利元就の長臣伊藤加賀守再興せること旧記に見ゆ、とされる。慶長年間(1596-1615)に米子城中村忠一は社領として12石7斗1升を与えている。

元は倉吉市生田にあって「久米八幡」と呼ばれており、明治22年には現在の社名に改称され、倉吉の西部および生田の産土神として尊崇されている。拝殿には大きな注連縄がかけられ、鈴も三つ吊られている。さぞや参拝客が多いのだろう。

軒唐破風の向拝の彫刻はきわめて精巧に彫られている。手前上の兎の毛通(うのけとおし)には鳳凰、奥の虹梁上には龍と波が躍動的に彫られ、頭貫の上の隙間には小さな獅子のような彫刻が見られユーモラスである。

祭神として、誉田別命仲哀天皇神功皇后武内宿禰などを祀る。幣殿の奥に続く本殿も、重厚な造りである。

本殿の右手には、小振りながらしっかりした流造の境内社が祀られている。その奥には赤い鳥居が見えるので、稲荷社があると思われる。