二本松駅のすぐ北の小高い丘が、二本松神社の森である。道路脇の一の鳥居から石段の参道を上ると二の鳥居が建っている。
さらに上っていくと、どっしりとした構えの随神門が建っている。寛政6年(1794)の大火で焼失した後、文化4年(1807)に再建されたものである。随神門には「左三つ巴」と「直違」の二つの社紋が描かれている。バッテン印が直違で、二本松藩主・丹羽氏の家紋でもある。
随神門の先には、神門が建っている。神門の左右には、簡単な屋根付の玉垣(透塀)が廻って神域を囲んでいる。
神門の扉には、獅子と思われる動物の彫刻があって神域を守っている。
神門をくぐると、大きな軒唐破風を備えた堂々とした拝殿が建っている。現在の社殿は、寛政6年(1794)の大火で焼失した後、文化3年(1806)に再建されたものである。
二本松神社は、久安年間(1142-51)に当地の地頭だった安達藤久郎盛長が熊野大神を勧請したのが始まりという。その後、15世紀中頃に二本松城主・畠山満泰により遷宮した際に八幡大神を宇佐八幡宮より勧請した。寛永20年(1643)に二本松藩が誕生して、初代藩主丹羽光重の入部に伴い、畠山時代に白旗ヶ峯の城内に鎮座してあった熊野宮と八幡宮を合祀し、城の改築の際この地に遷宮し、丹羽家と領民の守護神としたもので、藩政期を通して御両社と呼ばれていた。
領民の守護神、熊野宮を上座の右に、丹羽家の守護神、八幡宮を下座の左に祀ることで、「敬神愛民」の精神が示されている。十月初旬に行われる例大祭は、日本三大提灯祭りの一つに数えられる二本松のちょうちん祭りである。熊野宮の祭神は、伊佐奈美命・事解男命・速玉男命であり、八幡宮の祭神は、品陀和気命・気長足媛命である。本殿が二つあるように、御神輿も二つある。
拝殿に向って左手前に、境内社の御三社がある。祭神として事代主命・少彦名命・天神命(菅原道真)が祀られている。
拝殿に向って右手前には、神楽殿が建っている。神楽殿の屋根にも丹羽氏の家紋でもある直違の社紋が施されている。