半坪ビオトープの日記

出雲大社、神楽殿


西十九社の先には、摂社の氏社(うじのやしろ)が二つ並んでいる。手前の氏社の祭神は、出雲氏初代の宮向宿禰命である。出雲国造家の祖神天穂日命の第十七代の裔として出雲国を統治し始めた。どちらも桁行一間、梁間一間、向拝一間、切妻造妻入檜皮葺である。

奥の氏社の祭神は、天穂日命である。皇室の祖先神であり、天照大神の第二の子神で、出雲国造家の祖先神でもある。出雲大社大国主神を祀る祭主であり、現在の出雲国造天穂日命以来第八十四代の直系の裔である。ともに本殿のある東を向いて、西を向いた主祭神に対面している。

氏社の奥に宝庫が建っている。桁行正面一間、背面二間、向拝一間、切妻造檜皮葺であり、氏社と同じく、寛文7年(1667)の建立で、国の重文に指定されている。その右手の仮設テントは、摂社素鵞社の遥拝所である。出雲大社本殿の後ろにある素鵞社本殿は、大国主神の親神、八岐大蛇を退治した素戔嗚尊を祭神として祀っているが、遷宮工事中のためここから遥拝することになっている。

西十九社などがある荒垣から出て素鵞川を渡って西へ行くと、すぐに大きな神楽殿が構えている。270畳敷きの大広間をもつ神楽殿は、明治12年出雲大社教創始の際に、本殿とは別に大国主神を祀ったことに由来する。神楽や祈祷、結婚式にも使われる。現在の建物は昭和56年に建築されたものである。正面破風下に張られた長さ13.5m、周囲8m、重さ4.4tの大注連縄は、日本トップクラスである。一般に日本の注連縄は右から綯い始めるのがほとんどだが、出雲大社をはじめとする島根及び山陰の注連縄は、「大黒締め」と呼ばれる左から綯う注連縄が多い。出雲大社の建築様式大社造では、祭神が西を向いて鎮座するため、向って左側が上位になるためといわれる。

楽殿の右手に、先ほど出てきた出雲大社境内の西の入口がある。大きな社号標の前で記念写真を撮る人が多い。その右手の建物は、昭和38年竣工の庁舎(ちょうのや)である。

楽殿の手前左側に「おくにがえり会館」があり、その正面あたりに小さな社があったが、詳細は不明である。

西の入口から境内の内に戻ると、銅鳥居の手前に青銅の神馬・神牛が祀ってある。「かねおまさん」と呼ばれ、安産の神馬として知られるこの神馬は、寛文7年(1667)防長二州の藩主、毛利綱広が奉納したものである。