半坪ビオトープの日記

美保神社、本殿


廻廊付きの神門をくぐると正面に大きな拝殿がある。現在の拝殿は、平安神宮明治神宮の設計で有名な建築家、伊東忠太の設計監督で造営されたものという。

船庫を模した壁のない造りで、床面は石畳、梁がむき出しの上、天井がないのが特徴である。この構造に加え周囲が山に囲まれているため、優れた音響効果をもたらしている。

本殿は、文化10年(1813)に造営された。大社造を二棟並立させ、その間を装束の間でつなぎ、木階を覆う向拝を片流れに二棟通しでつけるという「美保造」または「比翼大社造」と呼ばれる、全国でほぼ唯一の特殊な形式であり、国の重文に指定されている。
祭神は、三穂津姫命(みほつひめのみこと)と事代主神(ことしろぬしのかみ)の二柱である。三穂津姫命は、高天原から稲穂を持って地上に降り、大国主神の后となり「五穀豊穣・家内安全・子授安産・子孫繁栄・歌舞音曲」の神として崇敬を集めている。事代主神は、大国主神御子神であり、「えびす様」の名で世に知られ、「海上安全・大漁満足・商売繁盛・福徳円満・歌舞音曲」の神として、また全国各地のえびす社3385社の総本社として篤く信仰されている。

古来、「えびす様は鳴り物が好き」との信仰があり、海上安全の祈願とともに夥しい数の楽器が奉納され、その内846点が国の重要有形民俗文化財に指定され、日本最古のアコーディオンなどが含まれている。
また『古事記』『日本書紀』の国譲り神話では、事代主神は父神である大国主神から、天神に対する国土奉献の可否を委ねられた神であると伝えている。毎年4月7日の青柴垣神事、12月3日の諸手船神事は、この国譲り神話の故事を再現するものである。右の本殿には、三穂津姫命が祀られている。

美保神社の創建は不明だが、境内から古墳時代の勾玉の破片や、雨乞いの儀式などで使用されたと推測される土馬が発見されており、古墳時代に祭祀が行われていたことが窺える。天平5年(733)に成立した『出雲国風土記』に記載があり、延長5年(927)成立の『延喜式』にも当社の名がみえる。近世頃から「(出雲)大社だけでは片詣り」といわれるようになり、出雲大社とともに参拝するものが増えた。出雲大社とあわせて「出雲のえびすだいこく」と総称される。左の本殿には、事代主神が祀られている。

拝殿の右手には、境内社の宮御前社が祀られ、宮荒神社と船霊社、稲荷社が合祀されている。その右には、柵に囲まれて、御霊石(おたまいし)がある。えびす様が釣をしていたと伝わる島の近くからとれたという丸い石である。

本殿の右後ろには、境内社の若宮社があり、今宮社と秘社が合祀されている。

本殿の左手に、御神竹が生えている。竹が欲しいと御種(おたね=もみだね)を蒔いたら不思議と竹が生えてきたという。