半坪ビオトープの日記

松江城下


美保神社から島根半島の南岸を走って松江に向う。大きな砂州の弓ケ浜半島によって日本海と隔てられている中海ではあるが、境水道で日本海とも半分通じている汽水湖である。中海とその奥の宍道湖との間に松江の町がある。宍道湖から流れる大橋川の北に松江城が建っている。山陰地方で唯一天守閣が現存する城で、慶長16年(1611)に完成している。松江城を巡る内濠の堀川の北側に、黒い板塀と白壁の武家屋敷風の建物が並ぶ塩見縄手がある。その一角に出雲そばで有名な「神代そば」がある。古来より出雲地方では、蹈鞴(たたら)製鉄とともにそば栽培が盛んだった。江戸時代初期、信州松本より松平直政が移封された時に「蕎麦切り」が伝わったという。神代そばでは、創業以来、石臼挽き、生粉打ち(十割蕎麦)である。

出雲そばは、わんこそば、戸隠そばと並んで三大そばの一つであり、そば粉を作るときそばの実を皮ごと石臼で挽くため、そばの色は黒く見え、香りが強い。出雲そばの基本は、割子そばで、三段の丸い漆器に盛られたそばにだし汁をかけて食べる。食べ終わったら残ったつゆを2枚目にかけ、つゆを追加して食べる。そばつゆには、本枯節と地伝酒を使用している。地元産そば粉は割高だが美味しい。

こちらは釜あげそばという。茹で上げたそばに、薬味とつゆをかけて食べるので、そばがのびてしまう感じがする。

武家屋敷の前に広がる通りは塩見縄手と呼ばれ、初代出雲藩主堀尾吉晴が慶長12年(1607)から数年かけて松江城築城の際に、内濠と侍屋敷を造成した城下町の通りである。

武家屋敷の手前に小泉八雲の旧居がある。明治24年にセツ夫人と過ごした屋敷で、八雲愛用の机と椅子のレプリカが置かれている。

旧居の左手には、小泉八雲記念館がある。英語教師として赴任していたアイルランド人であるラフカディオ・ハーンの松江滞在は1年ほどと短かったが、この地で妻となる小泉セツと出会い、その後結婚し、小泉八雲と名乗り日本に帰化して、多くの日本紹介記事を書いたことはよく知られている。ハーンの苦難の生涯と、松江とのゆかりが紹介されていて興味深い。