半坪ビオトープの日記

平家の里


湯西川温泉は、平家落人伝説の地として古くから知られているが、落人達の生き様や生活様式などを長く保存継承する拠点として、村内の茅葺屋根の民家を移築して再現された「平家の里」が温泉地の西にある。6月に行われる平家大祭は、湯殿山神社から平家の里まで約2kmのみちのりを練り歩く平家絵巻の行列である。これが入口の冠木門。

施設内の建物は全て茅葺であり、左手にある受付の太敷館で入場料を払った後、時計回りに建物内を見学していく。ここは調度営みどころの建物である。

調度営みどころとは、民芸品加工所である。昔から湯西川は木杓子作りが盛んで、職業としても成り立っていた。ブナ材を原料にした木杓子作りの様子や道具類も展示されている。

三つの館からなる床しどころは、湯西川に伝わる民具や、湯西川の生活の様子、平家の生活の様子が紹介される。これは湯西川でも格式のある家の様子であろう。

どの建物も茅葺きの屋根の手入れが行き届かず、草が生え始めている。

五の館では、平安絵巻による公家の遊びの様子や、鎧・鞍・弓などの武具などが展示されている。

六の館では、平家一門の清盛が入道になった姿や、平敦盛が一の谷に出陣する勇姿が展示されている。また、下関の赤間神宮にある平家物語が復刻され、湯西川の赤間神宮に寄贈された長門本20巻の平家物語も展示されている。

種々伝えどころの郷土文化伝習館は、湯西川地方に古くから残る伝統芸能や、民話等の伝承に広く活用される、平家の里で最大の建物であり、平家大祭の時などには特設ステージになる。

平家の里の最奥に、湯西川赤間神宮が祀られている。下関赤間神宮は、安徳天皇(第81代)の菩提寺である。源平壇ノ浦合戦の際、8歳という幼帝で平家一門と共に壇ノ浦に沈んだ安徳天王の冥福を祈るため、赤間関紅石山麓阿弥陀寺境内に奉葬し、建久2年(1191)朝廷は御影堂を建立した。

その後、明治維新阿弥陀寺が廃され、明治8年に赤間宮、昭和15年赤間神宮と改名された。湯西川の赤間神宮は、平家の里完成に併せて、昭和60年に日本で唯一分祀されたものである。

平家の里の出口近くに、苔むした平家塚がある。落人の霊を祀ったとされる塚で、武将としての身分を隠すために、落人達が鎧や兜を埋めたという言い伝えも残っている。