半坪ビオトープの日記

安曇野、小谷温泉、白馬大出

安曇野市豊科郷土博物館
栂池高原の前後にも安曇野や白馬、小谷など長野県北西部を訪ねた。最初は安曇野市豊科郷土博物館。安曇野は西に北アルプスの山が聳え、東には犀川が流れる自然豊かな地域で、大昔から人が住み約400ヶ所もの遺跡が知られている。約5000年前の縄文時代の南松原遺跡から出土した土器には個性あふれる紋様が飾られている。弥生時代前期(約2400年前)の東日本では土葬・風葬の遺体から遺骨を取り出し壺に再び埋める再葬墓が造られた。ほうろく屋敷遺跡再葬墓からは縄文時代の土器と弥生時代の土器が出土している。

オフネ祭りの木偶
信濃国は十州に境を接し、その真ん中に安曇野は位置する。海のない安曇野で、船を模った山車を引き回す「オフネ」祭りが行われている。昔、安曇野は湖だった、そこを蹴破って水を海に流し、人が住めるようにしたという泉小太郎の伝説は、安曇野と海との関わりを今に伝える。安曇野のオフネ祭りは現在も市内の30余の神社で行われている。元禄2年(1689)の記録が残る、穂高神社の御船祭りのオフネには、桧、蚊帳などで歴史的場面や伝説などを表現したヤマ(山)という部分が作られ、木偶と呼ばれる人形で飾られる。有名なこの「穂高神社の御船祭りの習俗」は、長野県無形文化財に指定されている。

高瀬渓谷、大町ダム
初日は大町温泉の南に流れる高瀬川沿いの葛温泉に泊まる。高瀬川沿いには大町ダム・七倉ダム・高瀬ダムの3つのダムがあり、葛温泉一帯を含め高瀬渓谷と呼ぶ。巨大ダムと紅葉の絶景は県内有数の景勝地だが、紅葉の見頃は10月中旬から11月上旬である。秘境の高瀬ダムは一般車両立ち入り禁止となっている。下流の大町ダムには展望台があり龍神湖と大町方面が望める。

大町ダム湖龍神
大町ダム湖龍神湖とも呼ばれるが、地元に伝わる民話「犀龍と泉小太郎」に由来している。昔、安曇野にあった湖の主の犀龍と山向こうの池の白龍王との間に生まれた日光泉小太郎は、湖の辺りに住む老夫婦により人間の子として育てられた。その後、ダムの地尾入沢で再会した親子は心が通じ、犀龍は小太郎を背に乗せ、山清路の岩盤を打ち破って湖の水を日本海へ落とし、安曇野を豊かな平野にしたという。その犀龍の伝説と水の神にちなんで龍神湖と名付けられたという。「オフネ」祭りにも通じる伝説である。

小谷温泉
翌日は仁科三湖を北上し、栂池高原を見てからさらに北の小谷(おたり)温泉に泊まった。妙高戸隠連山国立公園の標高850mの山腹にあり、弘治元年(1555)に川中島の決戦の折、武田信玄の家臣によって発見され、450年以上の長期にわたり名湯と謳われ、湯治宿として親しまれてきた。なかでも元湯の源泉は、明治時代にはドイツで開催された万国霊泉博覧会に日本を代表する温泉として、登別、草津、別府、小谷の4つが出泉された名泉である。江戸時代建築の本館をはじめ木造建築6棟が文化庁登録有形文化財に指定されている。

小谷温泉
本館の茶の間の左手に受付がある。旅館の中心に位置する元湯は100年以上変わらぬ浴槽で、大正ロマンを感じる造りとなっている。外湯の展望風呂も一望千里、開放感に溢れ四季のうつろいが感じられる温泉である。

江戸期建築の本館
本館のこの茶の間をはじめ、お座敷、客室の江戸期建築のほか、明治期の客室、大正期の新館客室、平成の別館客室もそれぞれ趣きのある風情を湛えている。

本館の外観
本館は木造3階建てで、見事な欅の柱や梁で豪雪に耐えてきた重厚な造りである。新館は大正3年建築の木造3階建てで、地元の宮大工の棟梁・山岸市太郎の手によるもので、丸太の通し柱など当館建物の象徴的な一棟である。江戸、明治、大正、平成と各時代に建築された建物が軒を連ね、昔ながらの湯治場の風情を大切に残している。小谷温泉には元湯と新湯の自然湧出の自家源泉があり、完全源泉掛け流しで提供され、飲泉効果も高いナトリウム炭酸水素塩泉という良質の温泉である。

大出の吊橋
白馬と鬼無里を結ぶ国道406号の白馬川の入り口が大出地区で、姫川に架かる吊橋が大出の吊橋である。

大出の吊橋
大出の吊橋の周辺には、茅葺き屋根の建物や水車小屋などがある。

姫川両岸の大出公園
吊橋から下流、姫川両岸一帯が大出公園として整備され、橋の向こう側下流に向かって右側の右岸沿いに遊歩道があり、その先の眺望テラスや展望台まで行って振り返ると、西には姫川の彼方に白馬岳、杓子岳、白馬鑓ヶ岳の白馬散々を中心に北アルプスの秀峰が見渡せる。しかし、残念ながら時間の都合でそこまではいけなかった。

アスター・アルマポシュケ
吊り橋の袂に咲いていた色鮮やかなアスターは、アスター・アルマポシュケという園芸品種である。ポシュケとはドイツで有名な育種家の名前だそうだ。それにしてもずいぶん大きな株に仕上げたものだ。

観音堂
大出の吊橋のそばに観音堂が建っている。数年前に建て直されたようで、観音様には腕がない。火災で持ち出す時に折れたとか、子供がソリに乗せて遊んでいるうちに折れたとか、村人に親しまれているようだ。