半坪ビオトープの日記

鳴門、大塚国際美術館

昨年の暮れに、鳴門・直島・倉敷・岡山と、瀬戸内のいくつかの美術館を巡った。まずは、大塚国際美術館。大塚グループが創立75周年記念として鳴門市に設立した日本最大級の常設展示スペースを有する「陶板名画美術館」である。古代壁画から世界26カ国190余の美術館が所蔵する現代絵画まで、至宝の西洋名画1,000余点を特殊技術によって原寸大で複製している。鑑賞ルートは約4km。まずはミケランジェロによる「システィーナ礼拝堂天井画及び壁画」(ヴァティカン)。現地さながらのスケールの大きさに驚く。残念ながら左右の壁面は省略されているが、正面と背面、天井画はほぼ忠実に再現されていて、その努力に驚嘆する。正面の「最後の審判」の場面は、中央上部にキリストと聖母マリア、周りにペテロやパウロなどの聖人が配される。

システィーナ礼拝堂、壁画
右下には地獄行きの人々を威嚇するカロンが描かれ、ダンテの作品の影響が見られる。

システィーナ礼拝堂天井画
天井画のこの部分は、背面の入口上部から1/3ほど。下が入口上部。右下がヤコブとヨセフ。左下がエレアザレとマタン。その上が預言者ザカリア。その上がノアの泥酔、その上がノアの大洪水。その上がノアの燔祭。その後、楽園追放、アダムの創造、と続くので、天地創造を逆の順に見ている。

エル・グレコ「三位一体」
こちらは、エル・グレコによる「三位一体」(マドリードプラド美術館)。父・子(キリスト)・聖霊聖霊は、ハトの姿で描かれる。

幻のエル・グレコの大祭壇衝立画
こちらの祭壇は、ナポレオン戦争で破壊された、幻のエル・グレコの大祭壇衝立画を、故・神吉敬三教授の説に従って、推定復元されたもの。世界初の試みである。

エル・グレコ「オルガス伯爵の埋葬」
こちらは、エル・グレコの「オルガス伯爵の埋葬」(サント・トメ聖堂、トレド)。

「聖マルタン聖堂」

こちらは、「聖マルタン聖堂」。パリから南に約300km、ノアン・ヴィック村がある。ジョルジュ・サンドの館があることで知られるこの村に、397年に没した聖マルティヌスに捧げられた聖マルタン聖堂が建っている。聖堂全体のテーマが「最後の審判」に基づくとされ、複雑な壁や天井の随所に壁画が描かれている。

「聖ニコラオス・オルファノス聖堂の壁画」
こちらは、「聖ニコラオスオルファノス聖堂の壁画」。前315年、マケドニアカサンドロスが町を作り、妻の名に因んでテサロニアと名付けて以来、この町はマケドニアの首都として、東西交流の要衝として、ビザンティン帝国の第二の都として繁栄した。そのテサロニキの東側城壁の一隅に、聖ニコラオスオルファノス聖堂はひっそりと立っている。後期ビザンティン建築U字型ギャラリーと身廊にまたがり、聖人像や「キリストの生涯」などの物語絵が壁面を飾っている。創設は14世紀前半が想定されている。

ポンペイ秘儀荘の「秘儀の間」
こちらはポンペイ秘儀荘の「秘儀の間」。ポンペイでは城壁の外にも郊外別荘と呼ばれる豪邸が建設され、この秘儀荘もその一つで、名称はディオニソス秘儀という神秘的な信仰の様子を描いた壁画に由来する。ポンペイ壁画装飾第二様式による大壁画で辰砂を用いた「ポンペイ赤」により特に有名である。前70-50年頃。

マケドニア王家の人々」
こちらは前40年頃、第二様式の「マケドニア王家の人々」(ナポリ国立考古学博物館)。

「アレクサンダー・モザイク」
こちらは前100年頃の「アレクサンダー・モザイク」(ナポリ国立考古学博物館)。ポンペイのファウヌスの家出土のモザイク画で、紀元前4世紀にギリシャマケドニア軍を率いて東方に遠征したアレクサンドロス大王が、イッソスの戦いでペルシャ軍と戦う様子が描かれている。5.8×3.1の巨大なモザイクで、数百万個の石片が使われた。

「ナイル・モザイク」
こちらは前80年頃の「ナイル・モザイク」(パレストリーナ国立考古学博物館、イタリア)。巨大な舗床モザイク一面にナイル川流域の様子が克明に表現されている。こうした特定の地域の風景を描くトポグラフィアはアレクサンドリアで発達した絵画ジャンルであるが、前景の饗宴の描写などにローマ美術の特徴も見られる。

ジョット「スクロヴェーニ礼拝堂」壁画
こちらはイタリアのパドヴァにある、ジョットによる「スクロヴェーニ礼拝堂」の壁画。この壁画は、大塚国際美術館の作品の中でも最多の現地調査を行い、綿密で多岐にわたる調査を経て、「もう一つのスクロヴェーニ礼拝堂」を作ったという。当時黄金に匹敵するといわれたラピスラズリによるブルーが豊富に使われているこの礼拝堂の建設は、エンリコ・スクロヴェーニと父レジナルドという。壁面には「西洋絵画の父」とも呼ばれる、ジョットによるキリストと聖母マリアの生涯が描かれている。ジョットの最高傑作ともいわれるこの礼拝堂の壁画だが、その代表作として紹介されることの多い「ユダの接吻」も描かれているという。しかし、残念ながらそれには気付かなかった。

アギア・エカテリーニ修道院「デイシスとキリストの生涯」と「キリストの受難と復活」
上の板絵は、エジプトのシナイ山にあるアギア・エカテリーニ修道院の「デイシスとキリストの生涯」という12世紀の作品。中央に玉座のキリストを挟み、左に聖母、右に洗礼者ヨハネが並ぶ形は「デイシス」と呼ばれ、審判者キリストと、弁護士のように執りなす二人を表す。中期ビザンティン美術では、単独で用いられて、「最後の審判」を暗示する図像としてよく扱われるという。下の板絵は、上と同じ修道院の「キリストの受難と復活」という12世紀後半の作品。「エルサレム入城」、「キリスト磔刑」、「黄泉(よみ)に下るキリスト」の3場面が描かれる。

「聖キリクスと聖女ユリッタの祭壇前飾り」

こちらは、バルセロナカタルーニャ美術館所蔵の1100年頃の「聖キリクスと聖女ユリッタの祭壇前飾り」の作品。「ドゥーロの祭壇前飾り」ともいう。中央に聖母子、左に聖キリスク、右に聖女ユリッタの殉教場面が描かれる。