半坪ビオトープの日記

コルドバ、メスキータ大聖堂

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メスキータ大聖堂

いよいよコルドバ最大の歴史的建造物・メスキータ大聖堂にやってきた。メスキータ(mezquita)とは、スペイン語でモスクという意味で、アラビア語の“Masjid”に由来するが、一般的には固有名詞として、コルドバにあるカトリック教会司教座聖堂コルドバの聖マリア大聖堂(Catedral de Santa María de Córdoba)を指す場合が多い。スペインに現存する唯一の大モスク(ムスリムの礼拝堂)である。

現在の外周は10mほどの高い塀および回廊で囲まれ、約175×135mの広がりとなって25,000人もの回教徒を収容する規模まで達した。

モスクにはミナレット(Minaret、光塔)が必ず付随して、塔上から祈りの時間を伝えるための歌「アザーン」が流される。メスキータのミナレットは「アミナール(Aminar、塔)」と呼ばれてきたが、尖塔の先にはコルドバを守護する聖ラファエロの像が据えられて、キリスト教の鐘楼に変身したことが了解される。

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ミナレット

この地には6世紀中頃、西ゴート時代にカトリックの聖ビセンテ教会があったが、イスラム勢力の支配後は共同使用された。後ウマイヤ朝を開いたアブド・アッラフマーン1世により新首都にふさわしいモスクが786-788年にかけて建設された。後の951年にはアブド・アッラフマーン3世により高さ40mのミナレットが新しく建設された。1593年にはエルナン・ルイス3世が鐘楼を加えた。現在、高さ54mになるミナレットの内部には203段の螺旋階段があり、上部のバルコニーまで登ることができる。

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免罪の門

1377年に建築が完了したこの免罪の門は、キリスト教の装飾が施されているが、モスクの時代からメスキータへの主要な入口として使用されていて、壁のアラベスク模様など、今でも当時の名残が見られる。

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オレンジの中庭からミナレット

免罪の門をくぐって中庭に入ると、椰子の木、糸杉やオレンジの木が目を引く。かつてイスラム時代には禊(みそぎ)の中庭とされていたが、16世紀末にフランシスコ・レイノソ司教がオレンジの木を植えた中庭となった。たわわに実るオレンジの実に心が和む。

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中庭からメスキータ

オレンジの中庭でメスキータのチケットを購入するため30分ほど並ぶ。アーチが美しい回廊に囲まれた中庭から壮大なメスキータの建物を見ようとしても、オレンジなどの木が茂っていて残念ながら全体像がつかめない。

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メスキータ内部の二重アーチ

中庭の右奥からメスキータの内に入ると、赤いレンガと白い石灰岩の二重の馬蹄型アーチが幻想的な円柱の森(礼拝の間)に驚く。786-788年にかけて建設されたアブド・アッラフマーン1世による最初のモスクの身廊は、その後833-848年、アブド・アッラフマーン2世による拡張、962-966年、アルハケム2世による拡張、991-994年、アル=マンスールによる拡張と、3回の増築で約5倍の面積となった。西の壁に沿って進むと、右側(西)には柵に囲まれて、キリスト教時代の様々な礼拝堂が並んでいる。左側(東)には円柱の森が広がっている。

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円柱の森

最初のモスクは、ダマスカスやエルサレムのモスクにヒントを得たバシリカ式の建築様式が用いられ、古代ローマや西ゴート時代の建物が再利用されているため、古代ギリシアの様式などが混在していた。その独創性は、天井を支えるための二重アーチに基づく建築構造にあり、後の増築部分の基盤を形成しただけでなく、建築の歴史に多大な影響を与えた。ローマ時代の水道橋をモデルにしたとされる。左に広がる円柱の森のすぐ右には、6世紀中頃の聖ビセンテ教会の遺跡が床下に残っている。

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『最後の晩餐』(パブロ・デ・セスペデス)

西側奥の右手には、パブロ・デ・セスペデスの祭壇画『最後の晩餐』が掲げられていた。コルドバ出身のセスペデスは、1560年代にイタリアに行き、いくつかの聖堂に壁画を描いた後、1570年代に帰郷してこの大聖堂に祭壇画『最後の晩餐』を描いた。

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ビセンテ教会の遺物

祭壇画の隣には、床下から発見された6世紀中頃の聖ビセンテ教会の遺跡の展示がある。上の大理石は初期キリスト教時代の石棺の破片であり、下の両脇の赤い煉瓦は6世紀の西ゴート時代の煉瓦であり、中央の大理石の下半分にはキリストを表す組み合わせ文字の上半分が読み取れる。CRISMON(クリスモン)と説明されているのは、ギリシア語のXPIΣTOΣ(クリストス)の最初の文字、X(キー)とP(ロー)を組み合わせたモノグラムを意味する。312年、コンスタンティヌス帝は夢に告知を受けて、このモノグラムをラバルム(軍旗)に掲げ、マクセンティウスとの戦いに勝利を得たという。左右にA(アルファ)とΩ(オメガ)を伴うなど、勝利の象徴的表現として初期キリスト教時代を中心に中世まで広く用いられた。

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ミフラーブ

西南の角を折れて南側に曲がると、メスキータの心臓部・ミフラーブ(Mihrab)がある。この最奥部分は962-966年、アルハケム2世による2回目の拡張で、全ての増築部分で最も創造性の高い工事といわれる。ミフラーブとは、イスラム教徒が祈りを捧げるメッカの方向を示す壁龕(くぼみ)だが、ここでは南を向いている。馬蹄型アーチには金地とガラスのビザンチン・モザイクによるクローバーやブドウなどの草花の装飾が施され、周囲にはコーランの一節も刻まれ、「イスラム建築の精華」といわれるほど美しい。

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マスクラ(貴賓室)

ミフラーブの八角形のドーム状の天井は、金と青のモザイクで美しく装飾されており、窓から光が差し込んで神秘的な雰囲気を醸している。祈りの声が反響しやすい形にしたこの空間はマスクラ(貴賓室)と呼ばれる。このような素晴らしいイスラム文化の結晶が、カトリック教会となっても800年近く保存されてきたことに驚嘆せざるを得ない。